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照寿司TOKYOが見据える寿司の未来
コンセプトデザインとインテリアデザインの仕事が過去最大に多い。重なるものはなぜか重なる、海外案件のみで5件あり、国内も3件。そして、今年の年末にオープンを予定する照寿司TOKYO BY WAGYUMAFIAである。この照寿司TOKYOのプロジェクトはとても思い入れがある、それは僕のブランドだけではなくメインは照寿司TOKYOというイメージングをクリエイティブに落としていくというところにあると思っている。WAGYUMAFIAのすべてのブランドは、ゼロスクラッチからイメージを入れているが、照寿司は戸畑で3代続いた歴史がある。そしてメインシェフとして職人としての渡邉貴義の存在。そういうエレメンツを自分なりに再解釈していく作業だ。
難しくてもダメで、シンプル過ぎてもダメ。それは寿司であるということと、照寿司であるということがバックグランドにあるからだ。基本的に寿司というのはフリースタイルだと思っている、何事も「道」になっていく日本において、寿司もフリースタイルから「型」に入って「道」としてのアカデミーになっていくのだが、僕はそれでも寿司というのはフリースタイルでありづつけるべきであると思っている。イワシがネタじゃなかった時代もあったし、トロタクを馬鹿にした時代もあった、そしてカリフォルニアロールは未だに寿司ではないという人もいる。僕が考えるに寿司というのはフリースタイルだから、面白い演出が生まれたんだと思っている。そんな考え方から僕なりのイメージングを考えていきたいと思っている。
そしてもう一つ今回のプロジェクトで僕が大切にしているのは、外国人にとっての寿司という存在だ。渡邉さんともよく話すのは、最近の寿司で面白いのは海外で外国人が握る寿司であるということだ。コンビネーションも独特ながら、何よりも写真で取られる美しさを全面的に考えた寿司は、普段から寿司を食べている僕らにとってもスクロールするまえに、思わず呼吸を忘れるそんなアートをみているかのような驚きがある。江戸前の寿司じゃないとダメって言っているおっさんも、柔道着は白じゃないとダメみたいな議論で、僕はカウンターでそんな話しを聞いてると頭固いなぁッと思う。そういう人に限って、ナポリタンが大好きでクラフトチーズをかけて、タバスコを良しとする。そう長く忘れない料理というのは、伝播する料理であり、それはフリースタイルな現地化が心地いい形で起きている。とどのつまり、それが食文化なんだと思う。世界へのアンバサダーとして、和牛と並んでもなんの遜色もない食カテゴリー、それが寿司だった。
今回デザインしていくなかで、戸畑のカウンターと東京のカウンターとキッチン、その双方の違いを楽しめるようなそういう設計にしたいと思っている。新しい寿司のデザイン、現在進行系で頭の中でクリエイティブを具現化された形で落とし込もうとしている自分でさえワクワクする。それはまだ誰もが経験したことのない、寿司の世界だからだと思う。
照寿司TOKYOのクラウドファンディングはいよいよあと6日。ぜひ多くの皆さんに参加いただけたら嬉しい。