Boléro (ボレロ 永遠の旋律)
丁寧なベビーシッターを紹介してもらえたこともあり、娘を預けて、久しぶりに妻と水入らずで映画館に行こうということになった。昔はよく二人で映画に行った。映画を観るという行為と映画を観るという行為は、似ているのだけどだいぶ違う。紙の本を読むのと、デジタルの本を読むのとの差みたいなものだ。多くの人は同じだと言う、ただ僕の場合は明らかに違うのだから、違うのである。僕は映画館で観ることが好きなタイプだ。15年ほど映画の道を歩いたこともあり、今でも映画館は僕にとって神聖だ。
なにかを見に行くというわけではなくて、ただ映画館に行く。今回たまたま選んだ作品、「Boléro (ボレロ 永遠の旋律)」である。本当に久しぶりにフランス映画をみた。ラヴェルのこの名曲は、誰もが聞いたことある2つの旋律と永遠に刻まれるビートの繰り返し。僕はこの曲を人生の色々な随所で聞いて心を落ち着かせている。単調な滑り出しで、フランス映画らしい序章から、音の奇妙な抜き方から輪郭を描いていく。この名曲とともにジワジワと忘れかけていた記憶が蘇ってくる。
彼の人生そのものでもある、この名曲は現在でも毎15分ごと誰かが演奏している作品となった、生きながらえる名作となった。彼は人生をかけてこの曲を作ったのだ。それは長い年月をかけて、ずっと演奏されていく。実にいい話である。久しぶりにパトリス・ルコントのボレロを観たくなった。こればっかりはタイムリーに映画館でとはいかないので、デジタルで観ることになる。この単調なビートを叩き続けている男の姿を追いかけていく。色々な人生がある、ただ全ての人生に意味がある。そしてその求められているロールがある。
ぜひ日比谷シャンテへ。