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人か、作品か。

2月11日(日) 2018

(長年の疑問が、ふっと腑に落ちたので
 超長文になりました。すみません)

血だらけ傷だらけで俳句を詠む人に
会うと、少し、自分が楽になれます。

自分よりたいへんな人がいる、と思うと
誰かとの比較になって、
見下げている下衆な視線だけど、
自分も人も、まあ、たいへんだよね。
とライトに思えるのがいい。

喫煙率75パー以上。
タバコの煙と、長期熟成した
汗の匂いとの粒子が、
酸素と二酸化炭素より多い部屋。
かろうじて男女の区別がつき、
置き所も自然発生的に仕分けた
躯体が上手に転がってました。
むせかえるカオス世界は、久しぶり。
カオス。たまに、で十分満足です。

NHKのカメラが入った日なのに
たぶん95パー以上、使われなさそう。
雑談が雑すぎて、もう、たまらん面白い。

部屋の密集率は過去最高。
一晩ずっと不眠で、テンション高い
まんまの人も。
いや、ほんと、もう。

BGMは、談志と可朝の掛け合い、
冬のチューブ、安室ちゃんなど。。
オカマ、くそガイジン、障害者、と
みずからがみずからを笑うのだけど、、
いくら自分のことでも、そこまで言う?!
の越境感。
それは、嗤う、じゃないのが肝。
くだらなさすぎて笑いぱなし。

マイクロミニに収まらず、
ナマ太ももその他が、
むき出しのキャバ嬢らしき娘が
すぐそばで寝息を立てる。
キャバ嬢らしき娘のバッグも、また
むき出しで中身が丸見え、
使い古した季語集も入ってた。
、、んだよね。
なんとも小憎いぢゃあないか。

俳句の人たち、
いろいろあったようで、、
(わたしは、わたしの
いろいろでめいっぱい)
声なき透明な咆哮を、チラ見。
「ちょっと俳句をかじったヤツと、
 俳句しかないヤツとを、
 一緒にすんなよな」とな。

俳句の注目のされ方も、ゆがみも
今は、しょーがないのかも。
ヘンなブームみたいになっているから。
興味のキッカケになるのは、
誰にとっても歓迎だけど、、
知識を武器にする下品な人が増えるのが
なんとも歯がゆい。

今は、やり方次第で、AI のほうが
優秀な句を作ってしまえる、ご時世。
そして、ヤル気の湧かないまま
上っ面作句の近頃の我が身を反省。

わかるよ、なんて言いたくない。
誰もが命がけで生きている、のは
同じだけれども、十七音の
よすがにすがる者らには、
下手か上手か、あんま関係ない。
いや、関係あるけど、関係ない。

すがるものが「それ」しかない、って
ある意味、不幸せかもしれないし、
すがるものがある身は、
ある意味、仕合わせなのかもしれません。

どっちにしろ、、どっちでもいいのかな。

Twitterの旧々々々?垢のときから
申し上げるよう、
個人的な意味づけとしては
排泄行為に限りなく近く
願わくは、芳しく色鮮やかな💩
を目指しています。

短歌も、長く広く注目され
(俵万智さん以来?でしょうか。
 そうでしたら、俵さんは
 俳句の正岡子規と同ポジション?)
俳句よりも、縛りがゆるい分、
詠み方、詠まれ方などが幅広くて
逸脱?の枠に届かない的な。みたいな。

世の中的には、一首と一句のちがいにも
無頓着だし、
そもそも俳句は、、、、、
なんてのも、もそもそもそ。。

個人的に、短歌も好きだし、
和歌はもっと好き。
御製とか、万葉集の
詠み人知らず、、とか、、
このへん、うんと学びたいなあ。
と思います。

金継ぎの場の雑談で、、
縄文期は、所有権の意識が低く、
弥生期は、均一機能美の弥生土器が
大量生産され、職業の分散も
うかがえる。&矢じりの
貨幣経済の成立か?
とか、、面白い話をたっぷり耳に浴びた
ばかりで、、脳も心もカオス。

一対の一夫一婦制は、つい
ここ百年で勃発した制度とか。
平安時代の夜這い、女系家系は
また、今とぜんぜんちがう。
一夫多妻制は今も地球上に混在。
愛という言葉と概念は、
キリスト教文化とともに
「日常」に根づきつつあると
必要に迫られ生じた新語。
欧州文化にならえ右の時期、
明治頃かららしい。
いろんな話が飛びかい、止まらない。

日本だと(海外も?)
祭りが、恋愛の大舞台装置としての
役目を果たしています。
今も昔も。

かたや、今と昔がガラリと様変わりした
基準もあります。
「人を殺す」とか「不倫」とか
その評価は、時代によって、
罪にも功にもなっていた事実を
冷静に眺めることは重要かも。
多数決できめる善悪、世間の裁き
、、大げさにいうと哲学がないと、
人が生きることが悲しいものに
なってしまいそうです。

やっと本題です。

人か、作品か。

20代の鼻息荒い頃のわたしときたら
、、、、大口を叩いておりまして、、
精神的かたわでもいいので、
いいものが作りたい。と、ほざいていました。
実際、ほんとの本心、本音でした。
どんなに性格がわるいと人から言われても、
いい作品が作れるのなら、ぜんぜん平気。
だから、仕事をいっしょにしたい人も
性格なんて、わるくてオッケーだけど
いいもの作れる人を貪欲に求めました。

結果、そこそこの希望は叶いました。

が。しかし。

以来、ずーー ーー ーー っと、疑問を
抱えてきたままでした。

⑴いい人の、いい作品。
⑵やな人の、いい作品。
⑶いい人の、ださ作品。
⑷やな人の、ださ作品。

理想順に並べました。

⑶と⑷は、自分のなかには
断じて、存在させないようにしていた、と
思います。
⑴を目指そうともせず、
強情なまでに、⑵を目指していました。

それでいいのかな、と、だんだん疑問。

⑴になれっこない、という
勝手な思い込みもありましたし、
そんな人が果たして、いるんだろうか
とも思いました。

すでに鬼籍に入られた、知る人は知っている
お茶の先生が、、茶碗好きにとって垂涎の
河井寛次郎のお茶碗を、信念を持って
お使いにならなかったと聞きます。
不倫し放題の人の茶碗なんて使いたくない
、、といった旨だそうです。

むむむむむむ。

本妻以外の女性を囲うことは、
まだ、その先生のお年頃だと、
けっして珍しくはないはずなのに????
そんなこと言ってたら、使えるお道具は
かなり幅が狭まるのではないのかしらん。
とかとか。

めちゃくちゃ疑問が膨らみました。

人格と作品、どう関連するんだろう。

答はないとわかりつつ、ずっと
腑に落ちないままでしたが、
どっちもあり、だよね、と
腹の底から思えるようになった瞬間が
自分としては、すごく新鮮でした。

たとえば、川谷絵音氏が
いい音楽を作るのも、
いい音楽と思えるのも、
いい音楽を作れるとするのも、
なーんか、ほんと、
どっちでもいいんだわあ、
と思えた自分に、わなわなしました。

どうでもいい視点が外れたのは
すごく気楽でした。

頭でわかっていても、
体がうんと言ってくれないタガが緩んだ
その理由は不明ですが、
とてもすがすがしいです。

濃厚濃密なインプットがピークだったので、
長々とアウトプット。
カオスの整理整頓させて
もらいました。
お目汚し、長々と失礼しました。

五七五をよすがにする者らと
作品の作り手の人間性と。
答のない問いも、腑に落ちるまで
思いをかけて、やっと放念できました。

和に親しんで運を開く。


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