彼岸の入り。
3月18日(日) 2018
暑さ寒さも彼岸まで。
よく耳にする言葉ですが、どうでしょう。
言葉どおりでしょうか。
立春すぎて、目に見えるように
日が伸びました。
これから、じゃんじゃん
夜が短くなっていきます。
暑さは、霊を活発にするとも言われ
お盆の折に、三途の川向こうから
亡くなった親族が家に帰ってくる
盂蘭盆会が、根づいています。
亡くなったばかりの人にとって
初めてのお盆を新盆(にいぼん、あらぼん)
と呼んで、特別な扱いにします。
初キッス、初登校、初出勤、初顔合わせ、
などなど、初めては、ことさら特別。
お彼岸も、初彼岸があるそうですが、
あまり儀式性がないし、聞くことも少ないので
最近の呼び方じゃないのかな、と
邪推しています。
お彼岸もまた、三途の川向こうから
祖先の霊魂が家に帰ってくる期間。
死んだ人と生きてる人のあいだでは
特別な期間です。
彼岸のお中日は、春分、秋分で
祝日になっています。
お昼と夜が半々になる日。
畑作稲作などの農業からみると、
さて、いよいよ、農作業を始目なくっちゃ、
というタイミングでもあります。
俳句の季語で「彼岸」は、春彼岸をさします。
秋の彼岸は「秋彼岸」です。
なぜでしょうか。
すみません、ざっと調べただけでは
わかりませんでした。
ちなみに、お遍路も同じで
春は「遍路」や花遍路」、
秋は「秋遍路」が季語です。
抹香臭くて、辛気臭いのですが、、
そんな気分なので。
母も、三途の川の彼岸から
渡の船を見つけた頃だろうかな、って。
母は、急逝したのは、
金木犀の匂う、晩秋でした。
もうすぐ紅葉を見にいこう、
今年は寒暖の差が大きいから
色がきれいだから、と
無口な父が言っていました。
あの日の空の、抜けるような青さは
胸をえぐる凶器でした。
秋も深まり、肌寒さを感じるのに
大きな秋の黒揚羽が飛んできて
なかなか、離れようとしないのです。
声にならない、あっ!
という大きな吐息が出て、母だと
まぎれもなく母だな、と思いました。
それ以来、何か、気持ちの沈んだときは
必ずといっていいほど、人なつこい蝶が
離れがたく飛んできてくれるのは
それはもう、母の化身としか
言いようのない存在でした。
いつも、そうでした。
必ず、きれいなシルエットで
少しシックな色合いの蝶で
いかにも母らしい。
春も秋も関係なく、何気なく
さりげなく近いてくる母の化身を
しばらく、見ていません。
過ごしやすいお天気だと、つい
母の化身の登場を期待してしまいます。
お彼岸ですからね。
お墓詣りは、死んだ者のうえに
己れが存在することを
思い知らされる機会でもあります。
先祖を大切に、というより
多くの生と死をへて凝縮された
命の結晶として自分がある、とすれば
粗末にしたくはないな、と思います。
和に親しんで運を開く。