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選択的夫婦別姓の導入は簡単に解決できる課題

日経新聞にこんな記事がありました。

じつはその前年の54年7月から、戦後最初期の法制審が民法改正の審議を始めていた。明治民法の「家」制度を否定した終戦直後の改革に続く、さらなる検討を進めたのである。

そのメンバーらが集まったのが、この会合だった。我妻栄、加藤一郎、舟橋諄一、青山道夫などそうそうたる顔ぶれが並んだ。

「夫婦の氏」について我妻が「これは大問題ですね」と切り出すと、中川が別姓導入の熱弁を振るい、加藤や青山も同調した。中川は「(別姓でも)実際上なにもそんなに困ることはない」と言い切っている。

戦後、家族制度のリベラル化の実現に尽力した我妻栄(をはじめとした法律の大家)が夫婦別姓に賛同していたという記事です。
選択的夫婦別姓の議論をみるたび、「我妻栄なら賛成してただろうなあ」と思っていたのですが、ちゃんとこういう記録も残っていたという記事で、丁寧な調査のあとが覗えるよい記事だと思いました。

私は新卒で公務員になるまではずっと理系で法律のことはまったく知らなかったのですが、公務員になってから、周りから「我妻栄の親戚ですか?」と聞かれることが増えました。
我妻栄は私の育ったところである山形県の米沢市の偉人という認識で、高校のOBではあるのですが、確認できる限りでは親戚ではありません。私の故郷は「我妻」がたくさんいる集落で、電話帳の終わりの方は「我妻」がたくさん続いたあとに少しだけ「渡辺」がいるという感じで、「我妻」はメジャーな名字だと思っていました。
チンギスハンの子孫はいまでも世界中に1500万人いるそうなので、狭い地域のことでもあり、何百年も遡ったらもしかしたらどこかで血はつながっているかもしれませんが、なんにせよ、確認できる限りでは特につながりはありません。
なお、読みは「わがつま」であって、「あがつま」ではありませんが、某国民的大ヒットマンガの影響なのか、最近は「あがつま」と呼ばれることが非常に多くなりました。

理系だったので、我妻栄について「郷土の偉人」「民法学の権威」という以上の認識はあまりなく、なにをやった人なのかもほとんど知らなかったのですが、公務員になって法律の勉強をするようになってから調べてみたところ、思っていたよりもずっとすごい人だったということが少しだけわかりました。
法律は大学で体系的に学んだわけではないので「我妻栄のことを理解できた」というようなおこがましいことはとてもいえないのですが、戦前までの家父長的な家族制度を現在のリベラルなものに転換したということだけでも素人の感覚としては「すごいな」と思うわけです。

社会人が法律の勉強をしようと思ったときに、オススメの本が2冊ありまして、我妻栄の「民法案内」(の1巻)と、碧海純一の「法と社会」です。

どちらも法律を知らない初学者でも読めるように書いてある名著だと思いますし、私が独学で法律の勉強をするときにもまさに「道しるべ」として非常に参考になりました。
ただ、どちらの本も「これは法学の入口にすぎないから、これでわかった気にならずにちゃんと勉強するように」というようなことが書いてあるのですが、私としてはまさにこれでわかった気になってしまっていて、わかりやすすぎる入門書というのも因果なものだと思っています。

夫婦同姓は典型的な「パレート非効率」

さて、前置きが長くなりすぎましたが、選択的夫婦別姓の導入が「簡単な課題」とはどういうことか説明してみます。

「パレート非効率」という概念があります。これは「他の誰も損をせずに、ある人(Aさん)がもっと得をできる状態」は非効率であるという意味です。Aさんが得をしても他の人が誰も損をしないならば、Aさんがその得をしないのはもったいない(非効率)ということです。

世の中の大半の課題はそうはいきません。Aさんが得をしようとすれば他の誰かが損をする、「トレードオフ」の関係にあることがほとんどです。こうなると、課題を解決しようとしても関係者間の利害調整が必要になり、頓挫するケースも増えるでしょう。社会課題の解決の難しさはここにあり、誰かに我慢してもらうことでしか解決できない問題は「難しい問題」といえます。

一方、選択的夫婦別姓の導入は、本来はこうした難しさはありません。単に別姓にしたい人はすればよく、同姓に拘る人はそうすればよいというだけのことなので、ある夫婦が別姓を選んだとしても、同姓に拘る人に何らの損失を与えるわけではありません。こうした意味で、本来は選択的夫婦別姓の導入は「簡単な問題」であるはずです。

選択的夫婦別姓の導入に反対している人は「伝統的家族観の破壊」というようなことをいっていますが、既に、戦後の民法の見直しによって、それまでの伝統的な家督制度をはじめとした「イエ制度」は破壊されているわけです。選択的夫婦別姓に反対している人もまさか「家督の長子相続制を復活させよ」とまではいわないでしょう。
「イエ制度」が破壊された結果、家族のあり方が悪化したというようなことをいう人もあまりいないと思いますが(ちょっと前は核家族化を批判するような人もいましたが、もうほぼ見かけなくなりました)、選択的夫婦別姓が最後の一押しになって家族が崩壊してしまうというのは、どうも実感として「そんなことはないだろう」という気がします。
結局、反対する人の根拠は、大げさに言ってしまえば「イデオロギー」であり、実態は「なんとなく気分が悪い」ということに過ぎないのではないかと思います。

「簡単な課題」を解決せずに、一部の人が得られるべき利益を得られていない状態はやはり非効率ですし、その解決に行政のリソースをいつまでも投入し続けるのも非効率です。

我妻栄もまさか没後半世紀経過してもまだ選択的夫婦別姓が実現していないとは驚いているでしょうが、「簡単な課題」はさっさと解決して社会の効率性を高め、関係者間の利害対立が避けられない「難しい課題」に注力していく必要があると思います。

今回は金融と関係ない話でしたが、よかったら著書もご覧ください。

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