「財源を示す」とはどういうことか?
こんなニュースがありました。
このニュースによれば、玉木氏は「取り過ぎの税金を国民に返せばいい」といったようで、それが財源であるということのようです。しかし、これは財源の説明になっていません。
「財源を示す」とはどういうことか説明します。
次の資料は、令和7年度予算案の概要です。
https://www.mof.go.jp/policy/budget/budger_workflow/budget/fy2025/seifuan2025/01.pdf
歳出と歳入をみると、どちらも「1,155,415」となっています。つまり、歳入も歳出も約115兆円です。
これは予算案ですから、歳入と歳出が釣り合って(バランスして)いなければなりません。歳入が足りないのに予算案として提示することはできません。
仮にここから減税をして、歳入が7兆円減少するとなれば、あらためて歳入と歳出をどうバランスさせるかを説明する必要があります。
歳入を増やすのであれば、別の税収を増やすのか(例示として地価税の復活のようなことをいっている議員もいました)、国債を発行するのか、その他収入を増やすのか、になります。
歳出をカットするのであればどの歳出をどのくらいカットするかを説明しなければなりません。
このように、歳入のカットと歳出の穴埋めを組み合わせて、あらためて歳入と歳出をバランスさせることが、「財源を示す」ということです。
減税の額が小さければ「予備費などで吸収できる」くらいの説明でもいいかもしれませんが、7兆円規模となるとさすがにそれでは無責任です。減税を提案した側がそれなりのアイディアを示す責任があります。
「税金を取り過ぎた」というのは、この意味で財源を示したことになっていません。具体的にどの歳入を増やし、どの歳出をカットするのかが問われているのです。
問題なのは、これを財政の素人がいっているならともかく、元大蔵官僚の玉木氏がいっているというところでしょう。この程度のことがわかっていないはずが無いのです。
「財源を示す」ことは、どのような財源を示したとしてもなんらかの反発があるでしょう。
「地価税の復活」というような他の税収を増やすという財源のアイディアは各方面から批判が出て、すぐに取り下げなければならなくなりました。
「赤字国債の発行」というものも一案だと思いますが、当然、これ以上国債を発行してよいのか、税収が増えたのであれば国債発行を縮小すべきではないかという批判が上がるでしょう。
「歳出のカット」にしてもカットされた対象からは恨まれるでしょう。そもそも、7兆円分の歳出のカットはその数字を積み上げるだけでもかなりの難題です。公共事業費全額でも6兆円くらいなのです。個々の予算を精査して7兆円分の歳出カットを捻出するのは大変な作業です。しかし、減税を提案した側にはその大まかな方針くらいは出す責任があります。
邪推すれば、具体的な財源を提示したときの反発を受けるのが嫌だから、具体的な財源を自分からは提示せずに、自民党なり財務省から提示させようとしているのではないかとも思えてきます。
それも含めて権謀術数のうちといってしまえばそれまでですが、やはり「不誠実」といわざるを得ないのではないかと思います。
なお、財源のアイディアについては、いろんな人がいろんなことをいっています。赤字国債などいくらでも発行できるという人、無駄な予算は大量にあり7兆円の歳出カットなど容易であるという人、高齢者のサポートを縮小して7兆円を捻出すべきだという人、その他、無茶なアイディアからそれなりに説得力のあるアイディアまで、百花繚乱の様相です。
すべてが間違いというわけではないと思うので、反発を押し切って財源を確保し、減税を実行するというのは選択肢としては当然ありえます。
ただ、それを応援団にいわせているだけではダメで、国民民主党が党の方針として正式に「財源を示す」ことが必要です。そこから、その財源案が現実的なのかどうか、さらに議論が進んでいくことになるでしょう。
国民全体を巻き込んだ議論を喚起したのですから、国民民主党には最後まで責任を持って議論をリードしていってほしいと思います。