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「金利ある世界」の生命保険はどうあるべきか?その3
生命保険について考えた記事その3です。このテーマでは最終回です。
「その1」では潰れた生命保険会社の話をしました。逆ざや状態に陥って、誰も経営を止めなかったために巨額の債務超過になってしまったという話でした。
さて、潰れなかった生命保険会社は問題なかったのでしょうか?実は問題は潰れたところよりも根深いのです。
バブル世代の保険料を若者が負担している
予定利率5%前後という高予定利率の保険契約は、その後の低金利で大赤字の状態に陥りました。何十兆円とある負債が年間数%の赤字を生むわけですから、その損失は膨大です。
潰れなかった会社も、その赤字構造自体は潰れたところとなんら変わりません。では、どうして債務超過に陥らなかったのでしょうか?
それは、その後に獲得した保険契約からの利益で損失を穴埋めしていたからです。もちろん、今でも新たに保険を契約する人は、なんらかの形で穴埋めの負担していることになります。
要は、バブルのツケをバブル世代が払うのではなく、バブル崩壊後に生命保険に加入した人たち(バブル崩壊がもう30年も前なのでこの人たちも決して若くはないのでしょうが、わかりやすさのために本稿では「若者」と表記します)に払わせているということです。
本来であれば、それでよいのかどうか、国民的な議論があってもよかったように思います。バブル世代も若者と同じ保険料を払うのか、それとも若者がバブル世代のぶんまで保険料を負担するのか、私としては重要なテーマであったのではないかと思いますが、現実としては、特に議論もされないまま、若者がバブル世代の保険料を負担することになりました。
これは「トロッコ問題」にちょっと似ていると思っています。みなさんご存知でしょうが、トロッコ問題とは、暴走するトロッコが5人を跳ねようとしているが、ポイントを切り替えれば跳ねられるのは1人で済むというときに、ポイントを切り替えるべきかどうかという問題です。
おそらく、生命保険の逆ざや問題も、冷静なときに問われれば大半の人が、「保険料が不足しているなら不足している契約の保険料を引き上げればいいんじゃないの?あとの契約から埋め合わせるのはおかしいでしょ?」と答えるのではないでしょうか?
しかも生命保険業は免許業種です。社会的責任が大きな業種ですから、より倫理的に正しい対応が求められます。
しかし、「不足している契約の保険料を引き上げる」というのは、手間がかかります。既存の契約を修正するためにはいくつものハードルを越えなければなりません。それがトロッコ問題の「ポイントを切り替える」ことに相当します。
トロッコ問題では、ポイントを切り替えるのが合理的であるにもかかわらず、心理的負担感により切り替えないことがありうることを問題にしていますが、逆ざや問題でも既契約を修正するための負担を避けるために、特になにもしなくてよい(=そのままトロッコを走らせておけばよい)、「若者に負担させる」ことにしたという側面があると思います。
逆ざやの放置は消費者軽視の極み
さて、反論としては「契約を守ることは保険会社の責務であり、会社が破綻したわけでもないのに契約を修正し、保険料を引き上げることなどできない」というものがあるでしょう。
しかし、ではなぜ監督当局である金融庁は新契約の獲得をそのまま認めたのでしょうか?新規契約を獲得しなければもっと多くの会社がいずれ債務超過に陥ることはわかっていたはずです。そうすれば、もっと安い保険料で保険に入れるはずの消費者が、逆ざや契約の損失の穴埋めに使われてしまうのは明らかです。
結局のところ、金融庁は生命保険会社を守るために、若者をいけにえにしたということでしょう。
先ほど「バブル世代も若者と同じ保険料を払うのか、それとも若者がバブル世代のぶんまで保険料を負担するのか」を議論すべきだったと書きましたが、実際こんなのは議論にもならず、「バブル世代は自分で保険料を負担しろ」という結論になるに決まっています。
いくらバブル世代の保険料が高くなるといっても、若者の保険料より高くなることはありません。どれだけ高くなったとしても、若者と同額を払うだけの話です。自分に利害関係がなければ、倫理的に、「自分で払え」という結論になるのが当然です。
ただし、生命保険会社には相応の「責任」が求められます。社長のクビでは済まないでしょう。当然「そんな会社潰してしまえ」という意見がでることも想定されます。
保険会社は潰しても構わない
「潰せ」というのは極論でしょうか?私はそうは思いません。
例えば、銀行であればもう少し慎重な対応が必要になります。銀行はたとえ経営がイマイチな地方の銀行でも地元の産業に資金を供給しているので、簡単に潰してしまうとその産業も共倒れになってしまうかもしれません。それが連続して、「連鎖破綻」という状況が生まれてしまえば、経済全体が壊れてしまいかねません。
銀行のこのような仕組みを「金融システム」といいます。金融システムを守ることが金融庁の最大の使命です。
一方、生命保険会社は金融システムとほとんど関係ありません。かつては生保会社もそこそこ企業貸付けをしていましたが、今はほとんどやっていません。貸付のプロである銀行でも貸出先がなくて困っている状況ですから、生保会社にできるわけもないのです。
また、戦時中は生保会社が株を買い支えてマーケットの崩壊を食い止めていました。ある意味で金融システムに関与していたといえなくもないです。もちろん、現代では金融庁が持ち合い株式の解消を進めているわけですから、生命保険会社にそんな機能は求められていません。
結局のところ、生命保険会社は(損害保険会社もですが)別に潰しても構わないのです。逆ざやを抱えて若者に赤字の穴埋めを頼らなければならない会社など潰してしまい、きれいな会社に生命保険を担ってもらった方が社会としてはよほどメリットが大きかったと思います。
なお、実は似たようなことを終戦時にやっています。終戦により、戦前・戦中の契約を維持できなくなった生命保険会社は財務的にきれいな「第二会社」を設立し、そちらで保険事業を実施することとし、過去の契約と経済的に切り離しました。それにより、戦後の契約にツケを払わせることなく運営ができたわけです。こうした形で逆ざや契約を新規契約と切り離すこともアイディアとしてはあったでしょう(終戦ほどの非常時ではないので難しかったとは思いますが)。
官民一体での「粉飾決算」
以前、会計士の人にこんな質問をしたことがあります。
「現状でゼロ金利なのに、保険負債を5%の予定利率で評価してるのをどうして問題視しないのか?」
普通、負債評価の基礎率が現実とあわなくなれば、あわせるようにしなければなりません。契約時の予定利率が5%でも、ゼロ金利ではもはや5%の利回りは見込めないわけですから、もっと低い利回りで負債を計算しなければならないでしょう。
会計士の仕事は、負債の計算方法がおかしければ指摘し、適切な負債の額を開示させることです。なぜ会計士がそれを指摘してこなかったのかを聞いてみたのです。
回答は、
「そんなの指摘したら契約切られちゃいますよ(笑)」
というものでした。
私もそんなに真剣に聞いたわけではなく雑談として聞いたので、回答もジョークとして返ってきたという形ではありますが、まあそれはやはり本音でもあるのでしょう。
生保会社は会計事務所にとっては大口のお客様ですから、それこそ保険会社が潰れかねない本質的な指摘など不可能だというのは残念ながら事実です。
なお、私が学生の頃の話なので表面的な話しか知りませんが、かつて「りそなショック」という事件がありました。これは会計士がりそな銀行の繰延税金資産という資産の計上を認めず、結果的にりそな銀行が国有化されることとなったという事件です。
その判断が正しかったのかどうかの評価は私にはできないのですが、本来ならば会計士というのはたとえクライアントである会社が潰れるとしても「ダメなものはダメ」と言わねばなりません。
ゼロ金利時代になっても5%で評価された保険負債にゴーサインを出してきたことは「粉飾決算」といわれても仕方ないでしょう。
もちろん、そのような負債の評価を認めてきた監督官庁の責任が最も大きいことはいうまでもありませんが。
逆ざや契約の保険料は引き上げるべき
潰れた生命保険会社は、保有する逆ざや契約の保険料が黒字になる水準まで引き上げられた上で、他社に吸収されました。それ自体は不幸なことではありましたが、膿はそこで出し切ったといえます(実は2回「破綻」した契約というのもあるのですがそこは省きます)。
逆に、潰れなかった生命保険会社は、いまだに膿を吐き出し続けているということになります。
バブル期の高予定利率の契約を「おたから保険」などといって、解約しないように勧めるFPなどもいますが、そうした「おたから保険」は若者の保険料を吸い取ることで成立しているのです。グロテスクな話だと思います。
逆ざや問題は終わったといわれることもありますが、中身をみればまだまったく終わってはいません。バブル期に30歳で契約した人が今60歳だとすれば、この先20年くらいは十分に逆ざや契約が存在し続けることになります。
世代間格差が問題となる中、既に子育ても終わり老後を迎えようとしている人の保険料を、これからこどもを産み育てようとしている人や、子育て真っ最中の人が負担しているのです。
もちろん、ひとりあたりの負担額は大きくはないでしょう。しかし、保険に限らずあらゆる分野で「誰がどれだけ負担すべきか」という議論から逃げ続け、取りやすいところから取るということを積み重ねてきた結果が現状なのだと思います。
逆ざや契約の解消は今からでも遅くありません。問題に正面から向かい合い、「おたから保険」の保険料を引き上げることも含め、あるべき解決策を模索していく必要があります。その過程として仮に生保会社が潰れることがあったとしても、それはたいした問題ではないのです。
最低限、各社が保有している逆ざや契約の規模と、若者の契約から逆ざや契約に毎年いくら利益が移転されているか、累計でいくら移転されてきたのかは開示させる必要があります。
「臭いものに蓋」で逃げ切らせてしまっては、歴史はまた繰り返すことになるでしょう。
よかったら著書もご覧ください。保険の話も少しだけ書いています。