エンパワメントって何ぞや 元は1960年代の偉大なブラジル人が考えた言葉でした

連ツイしてtogetterしたのをこっちにも転載します。
毎月投稿記録もかかってるし。

「エンパワメント」って何なの?

という話題が一瞬TLを通過しまして。
そういえば何に由来するんだろうかと調べてみたら、
1960年前後のブラジルで識字率向上に多大な貢献を果たした
パウロ・フレイレという人が生み出した用語でした。

パウロ・フレイレという人

パウロ・フレイレの略歴はこちら、Wikiで申し訳ない。
ざっと読んだ限りですが、

文盲の人々に自ら考える力を、 その手段としての言葉を提供する事で、
誰が何が自分たちを支配し抑圧しているのか、
そしてどうすれば植民支配を打破出来るのかが分かる。

重要なのは一人一人が対話を通じて考える事で、
教えを垂れる者と押し込まれる者になってはいけない。

という思想の持ち主のようです。

フレイレの「エンパワメント」

https://t.co/5TCRzvBhQu

で、こちらがフレイレの「エンパワメント」とは何ぞやというpdf。
識字出来なかった農民や労働者に、
彼ら彼女らの中にある物事が何なのかを共に考えて、
その上で言葉を紹介したのが効いた、らしいです。

文盲の人々への識字普及と不可分であった事、
および(あくまでこれは私見ですが)
性善説に通じる農民たちへの強い信頼があった事が重要です。
…著作を読んだわけではないので
「多分」という言い方になってしまいますが。

という事でフレイレの、元々の「エンパワメント」は、
もともと自らのうちにある「もの」、力を見つける事
その上で「もの」に文字と言葉を割り振る事
この方法で識字する事、になるようです。

だからつまり、自らの力を見つけて
その力を言語化し自分で理解する働きが
元々のエンパワメントになるのかな?

その上で。「エンパワメント」…に限らぬ言葉の簒奪

誰かが頑張って作って育てたもの、言葉、思想、表現、創作を横取りし、
剽窃して簒奪するのがフェミニズム、
に限らず左右の政治運動のやり方な訳ですが。
(フェミニズムの場合、元々の意味を全く理解せずに…
どころか理解しようともせずに使ってるのが余計アレな)

「エンパワメント」という単語も大分簒奪されてます。
これは今では、様々なものを「~」という意味だと横から言い張り、
他人に強制する文脈で使われてるので。

このような簒奪はフレイレ自身が強く批判しています。
「銀行型教育」、つまり教師が生徒に一方的に知識を押し込む事は、
教師も生徒も非人間化するし抑圧を助長すると。
…例によって著作読めてないので「だそうで」になってしまいますが。

今のフェミニズムやリベラリズム、
更に知識主義や医術主義のやってる事そのものです。
あいつら他の人間をパペットか何かだと思っていやがる。
それでいて教祖には見苦しく諂うんだから。

改めてフレイレに戻り

エンパワメントという単語そのものが簒奪されている。
実際、誰もフレイレの事を思い出さなかった。
私もさっき初めて彼の存在と思想を知りましたが。

元々の「エンパワメント」は、
識字教育で多大な成果を出した人が
(この時点で口だけの連中とはまるで違う)
人々の、自らの内にある力(特に考える力)に、
概念と言葉(表現)を割り振る事でした。
かつ、それは教師と生徒のような上下関係ではなく、
何より一人一人が自ら考える事を前提としています。
なんだかすごくデカルト的です。まさに「考える葦」。

ただ人に何かを教育すれば、相手の人生に強い影響を及ぼすわけで
「教育する者」には責任が伴う筈です。
フレイレはその責任を無視してませんかね、とも思います。
そんなつもりはないんでしょうが。
あるいは著作にはその辺も書かれているのかもしれません。

とはいえ、そもそもフレイレは子供への義務教育ではなく、
成人し仕事し生活している大人への識字に奔走したので、
相手と対等に向き合おうとすれば必然的にコミュニケーション、
交流になるよねという話もよく分かります。
フレイレが向き合った人々は「大人」であり、
既に自分の世界を持っている存在でした。
子供、特に小学生未満の児童が相手だとこうはいかなさそう。

文盲の相手を見下すなんて発想は、
おそらくフレイレには無かったのでしょう。
これはフレイレの「エンパワメント」が、
あくまで相手の力を引き出す事である所にも見えます。

どうでもいい余談ですが、私は齢41にして
「文盲」を「ぶんもう」だと思ってました。「もんもう」なのね。
きっとフレイレはこういうやらかしを一緒に笑い飛ばしてくれるでしょう。

更に余談もう一つ。
「エンパワメント」って何に由来するんだろう、
キリスト教、バプティスト辺りに由来するのかなぁなんて思ってたら、
全然無関係でした。

ただ、フレイレの手法や「エンパワメント」は 同じ場所、少し後の
つまり南米での解放の神学にもやっぱり多大な影響を及ぼしているそうで。

…今の「エンパワメント」に引き継がれている感じはしませんが。
元はこんな意味だったんです、という深夜のnoteでした。






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