大好きだった会社の話
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昨年12月、昔勤務していた会社の飲み会に参加した。その会社に勤務していたのは、もう20年以上前のことだ。
とても雰囲気のいい会社で、私は契約社員で働いていた。その会社はベンチャー企業K。
当時、私は腹話術師わがしとして活動はしていたが、ほとんど出演もなかった。寄席にもまだ出演していなかった。私はその会社には、最初は派遣社員で期間限定で勤務した。期間満了で勤務は終了した。とても雰囲気の良い会社だった。
次に派遣会社から紹介された会社がひどすぎた。会社がホコリだらけで汚いないことと、あまりにも我慢の限界を超えていた。その会社は数日で退職した。この数日でやめた派遣先の話は別の機会に。
派遣会社の担当と話した。ついこの間、働いていた会社に勤務したいと。本来は、紹介予定派遣になるが、社長とは昔からの知り合いだから特別にいいとのことだった。
派遣会社の担当のお言葉に甘えて、思い切って連絡した。社長はすぐに面接に来てくれとのことだった。面接後、すぐに採用が決まり契約社員として勤務することになった。
仕事は経理の仕事だ。腹話術師になる前、会計事務所で正社員で勤務していた経験を評価してくれたことと、派遣社員での勤務態度を評価してくれた。
毎日、毎日仕事は忙しかった。でも、会社の雰囲気がとても良く、毎日楽しかった。忙しい日々に、たまに腹話術師の活動をするという感じだった。残業も多く、毎日帰宅も遅かった。でも、毎日仕事が楽しかった。やってもやっても終わらないくらい、次から次へと仕事がある。会社の電話も鳴り止まない。つまり、会社の売り上げが右肩上がりだった。みんな忙しかった。でも、社長も、他の社員も契約社員、パート職員みんな笑顔だった。社長の人徳だった。
月1回、会社で飲み会したり、誕生日会をランチにしたりもしていた。本当に楽しい時間だった。
毎日仕事仕事、残業残業の日々。たまに腹話術師。充実していた。もう腹話術師は趣味にして、正社員になりたいと相談した。でも、ダメだった。会社の先行きが、わからないので正社員にはできないとのことだった。仕方ないと思った。
契約社員でもいいから、この毎日が続けばいいなあと思った。週五契約社員、週末たまに腹話術師の生活だった。
伊豆の下田に社員旅行もした。一度切りの社員旅行だった。本当に楽しい旅行だった。温泉も宴会も楽しかった。
楽しい日々は、長くは続かなかった。
急激に会社の業績が落ちたのだ。残業はしなくなった。定時で帰る日々。
ある日、社長に話があると言われた。
そろそろ言われるだろうとは思っていた。経理だったので、会社の業績のことは把握していた。辞めて欲しいとのことだった。何だか、とても悲しかった。ひとりでお風呂の中で泣いた。でも仕方ない。あきらめるしかなかった。
大好きな会社だった。女性の契約社員全員、パート社員全員退職した。その後、男性正社員も数名退職。
腹話術師を頑張ろうと、勇気を出して行動をおこした。行動のおかげで、東洋館にも出演するようにもなった。でも、ベンチャー企業Kで働いた日々の楽しさがなかった。腹話術師の自分を楽しめなかったのだ。
新しい会社で働けば、また楽しいだろうと思った。派遣社員で働き始めたが、職場がギスギスして嫌な感じだった。さまざまな会社で派遣社員で働いた。有難いことに、紹介予定派遣で勤務し、ぜひともと言ってくれた会社もいくつかあった。腹話術師としてたまに出演して、フルタイムで働く日々が続いた。
でも、ベンチャー企業Kで働いた楽しさがなかった。楽しくない原因は、職場の人間関係だ。少しでも気分良く働こうと思った。職場の空気に染まることにした。つまり、目立たないようにして言われたことを守る。徹底した。結果、働きはじめてまだ1週間なのに、ずっといる感じがすると言われた。私は、会社の色に染まっていたということだった。今思うと、会社にふさわしい派遣社員を演じていたのかもしれない。
ベンチャー企業Kで働いた皆さんとは、退職後も付き合いが続いている。年賀状のやりとり、寄席に来てくれたり、長く付き合いが続いている。社長は数年前に亡くなってしまった。
社長の会社大好きでした。今まで、正社員、派遣社員、バイト、パートなどたくさん働いてきたけど、社長の会社が一番でした。社長のおかげで新しい業務も経験できました。入札業務で、いろいろな場所に行ったこともいい思い出です。