見出し画像

Ado ライブ『心臓』 〜あるいはボイスパフォーマーとしての魔女の系譜〜


Adoはボーカリストではない。稀代のボイスパフォーマーだから、上手い下手の基準の適用はそもそも的外れ。オノヨーコやディアマンダ・ギャラスの系譜。もっと言うと、一度呑み込んだおはじきを白黒交互に吐き出せる人間ポンプおじさんと同じ種類のびっくり人間。妖怪声遣い。人間ポンプのうまいへたをうんぬんするのはナンセンス。それはまた別ジャンル、別の種類の“謎”だ。


ディアマンダ・ギャラス1。ボーカリストを超えたボイスパフォーマーの例。
ね、似てるでしょ?


ディアマンダ・ギャラス2。オシャレなMV。もしかしてこれが美魔女ってやつ!?


ディアマンダ・ギャラス3。あまりにハードコア過ぎて一人サバト状態。閲覧注意。


魔女といえばかつて‘’東洋の魔女”と揶揄された、まさにAdoが目指すような‘’世界的アーティスト”オノヨーコによるボイスパフォーマンス。NYアンダーグラウンドの帝王ジョン・ゾーンのサックスとの共演。彼女は単身ニューヨークに渡った1960年代からこのような代わり映えのしない普遍的な訴求力に満ちたパフォーマンスを継続している。


U-NEXTで最新のライブ映像、今年10月24日に行われたAdoのスペシャルライブaka女性ソロアーティストとして初となる国立競技場でのワンマン公演『心臓』を見ているが、ライブというより完全にびっくり人間ショー。少なくとも僕の知っている20世紀型のライブとはまったく違う。単に自身の喉と声と肉体を使ってパフォーマンスを行っているところがたまたまそれに似ている、というに過ぎない。
覆面なしの凄腕楽器隊がステージ一段目に勢揃い、そこからさらにせり上がった獣の檻のような舞台装置の柵の向こう側に素顔を隠し真っ黒なシルエットのみを浮かび上がらせたAdo、歌い叫びがなり立てしゃがみ込んだり仰向けに寝っ転がったり一つ結びのポニーテールを振り乱しつつ舞い踊りながら人間離れした圧倒的なVOICEを天から降らせまたたく間に空間を制圧して人心を掌握する彼女の姿を見て思わず「託宣」「祭礼」「巫女」というスピリチュアルな言葉の数々が脳裏をよぎる。
ここにあるのは従来的な相互浸透の快楽としてのライブ体験ではなく、びっくり人間=歌い手(utaite、とエンドクレジットにはある)のびっくりボイスパフォーマンスを上意下達式に浴びまくる浮世離れした服従のカタルシスだろう。


あるいはアルプスといった険峻な山やアマゾンの悠久の大河など圧倒的な自然の威容に接した人間が抱く美と崇高の観念=Sublime、“蛮族”の膂力の前にひれ伏すマゾヒスティックな敗北のカタルシス=Gothicの感覚。
Ado、蛮族の女王·····
ミメーシスから遠く離れた人間を越えた人間の像を芸術に求める者は必見。


なれど、 『踊』『唱』のキラーチューン二連打で尋常ならざる獣の叫びによってわれわれの日頃鬱積した痛みをまるっと消し去り幕となった後、MCが始まると檻から出てきたAdoのパフォーマンスは徐々に人間的な・等身大の・共感型の、つまりは極めてJ-POP的な感動の定型サイズへと収斂していき、アンコールたった一曲のためにB’zの松本孝弘をゲストに呼びつけた『Dignity』、自身を育ててくれたボーカロイドと歌い手文化への愛と感謝を幾度も口にしながら(「なにもできなかったわたしを救ってくれた·····」は嘘偽りのない本音と演出上の段取りとの折衷なんだろうけど、一度ぐらい「ここにいるみなさんのおかげです!」と言ってほしかったものw)披露される『桜日和とタイムマシン』におけるホログラムマッピングされた初音ミクとの共演=融合と、技術的な進歩は数多く発見されても結局はひどく見慣れた昔懐かしい20世紀型エモにまとまっていくバランスの良さ(と言っていいのか?)こそ、Adoが国民的アーティストにまで上り詰められた所以なのかもしれない。
実際、他のライブでは見ることのできないような幅広い年齢層のオーディエンスが集結した観客席の情景は新鮮で、といって例の一番の感動ポイントたる『桜日和とタイムマシン』演奏中に挿入されるショットのことごとくが「思わず嗚咽号泣する若い女性客」である点にはついつい小言のひとつも言いたくなってしまうというもの。


あくまで野生の批評家の責務をまっとうすべく致し方なく皮肉めいた構造分析を披露してしまったが、裏を返せば、以上は大衆文化的に非常にウェルメイドなライブ演出がなされていたことの証左でもあり、観客としての僕はふつーに大感動して嗚咽号泣してしまった事実を書き添えておこう。


「初めてのワールドツアーを終えて帰国して、日本という国がさらに大好きになりました。でも、わたしは絶対に過去に前例のない規模のワールドツアーを成功させて、もっともっと世界に打って出ていきたいです!」
“誰も傷つけない”バランスの良さを保ちつつ、力強くMCで野心を語る。
ディアマンダ・ギャラスの情念とオノヨーコの国際性を引き継ぎつつさらなる躍進を遂げようとしているAdo。そこには当人が意識するとしまいとに関わらずラディカル(戦闘的)フェミニズムの文脈も関わり合ってくるはずで、もしかして昨今流行りの“現代魔女”ってAdoのことなのでは?
今後も彼女の動向から目が離せそうにない。
(大衆文化的にウェルメイドな幕引き🧙‍♀️🧹☠️)


現代魔女と現代テクノロジーが生んだ少女との共演。
ズルい😭


いいなと思ったら応援しよう!

脱輪
野生動物の保護にご協力をお願いします!当方、のらです。