ACPの選択肢その③
今回のテーマは。
『住』
どこで死ぬか。
それは大きい問題だと最初は思っていた。
在宅で死ぬことができることが全てだと思っていた。
家でなら、周りの人に囲まれることができる。
住み慣れてきたところで死ぬことができる。
それで死ぬことが幸せだと思っていた。
対して、老人ホームとかは、周りは職員だけ。
もし体調が悪くなったとしても、周りには職員だけ。
周りの職員とすごく仲良くなって、人間関係が良くなって、
家族以上の関係値を得る利用者もいるし、
利用者さんをみかねて、それ以上の関係値を職員が持とうとする時もある。
なぜ住み慣れた街で場所で死ぬことが一番だと思っていたんだろう。
帰属意識?というやつなんだろうか。
自分が生きてきていない場所だと、慣れてないからこそ、恐怖?のようなマイナスな感情を抱くんだろう。
実際現場で見てきた点からいうと、
家で突然倒れ、急病になったあと、病院に来るが、すごく暗い雰囲気になる。
突然という恐怖もあるだろうし、
死という恐怖もあるだろうし、
病院という雰囲気的な恐怖もあるだろう。
帰属意識の対義語はないみたいだけど、、。
対帰属意識的なものはないんだろうけど。
訪問看護も経験した自分からすると、
家族を看護することも簡単とは言えない。
書いてて思ったけど、
帰属意識と在宅看護って対立する立場にあるんだなと思った。
ACPの選択肢
としているので、選択肢を選択するので有れば、
その要素が必要だと思っている。
家で死にたいという人には、
その前の準備が必要。
病院で死にたいのであれば、
何も準備しない方がいいのかもしれない。
今までも結構言っていることではあるが、何も準備していないということは、
死生観を考えてないということだ。
そうならば、人生は充実していない可能性が高い。
その人の人生は充実していたとしても、
今を生きる人の、取り残された人たちの人生は間違いなく充実しないだろう。
個人的な答えとしては、現実的な面も含めると、
病院で死んでしまうのかなと思う。
やはり看護師として働いていると、
誰かに迷惑をかけて、死ぬのは非常にめんどくさいと思ってしまうし、心が病みそうになる。
医療従事者の苦しみとか、家族の大変さを知っているからこそ。
現実を知ってるってやだなーと思う。
今日は結果的につらつらnoteになってしまった。
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