「反対するなら代案を出せ」と言うことは最適解ではないという私見
「反対するなら代案を出せ」と言うことは最適解ではないと私は思います。
一般に議論の場では「A案がいい」と何かしらの提案がなされますが、
A案が当事者全員の希望を満たすものであれば特に問題ないものの、
全員がA案全ての部分で納得できるというわけではない場合、
A案をそのまま採択する以外の選択肢も発生することとなります。
A案に同意できない人は「A案に同意できない」と言うこととなりますが、
そこでA案を提案した人がA案に同意しない人に対して「同意できないのなら代案を出せ」と言うことが適切なのか、ということです。
A案に同意しない人の中には、
A案よりいいと考えられるB案が自分の中にある人
A案よりいいと考えられる他の案は自分の中に持ち合わせていないが、A案に対してCという懸念を持っている人
がいます。
「同意できないのなら代案を出せ」は1の人に対してはB案を引き出すことに繋がるため、有効な言葉となりますが、
2の人に対しては、「同意できないのなら代案を出せ」の言葉の強さから、2の人が持つCという懸念を引き出しにくくなる可能性があります。
ここで議論を行う目的である、当事者が現状よりも良い未来に向かうということを考えたとき、
2の人が持つCという懸念を引き出しにくくなることから、
Cを踏まえた修正案A'を生み出す機会を失う可能性があるため、
「同意できないのなら代案を出せ」は最適な言葉ではないということです。
では、A案に同意しない人にはどうするのがいいか。
私はその人に代案を出すことを最初に求めるよりは、一度A案に同意しない理由を尋ねるほうが好ましいのではないかと思います。
A案に同意しない理由を尋ねることで、
1の人が持つB案を引き出すこともできれば、
2の人が持つ懸念Cも引き出すこともできるというわけです。
以上より、
A案に同意できない人にすぐに代案を求めるのではなく、同意できない理由をまず引き出すことが大事なのではないかと私は考えます。
なお、反対することはすべて意味を成すかといわれれば、私はそうは思いません。
先ほどのA案に同意しない人の2つのパターン以外にも、
3.A案に対する対案Bも懸念Cも持ち合わせていないが、なんとなく反対
4.A案に対する対案Bも懸念Cも持ち合わせていないが、A案を出した人が
気に入らないから反対
という人もいます。
「反対することは全て意味を成すか」という問いにおける「意味を成す」というのは、「現状よりも良い未来の形成に役立つ」ということではないかと私は思うので、
仮にA案への不同意が、未来が悪くなるのを防ぐものであったとしても、
3の人も4の人も、現状よりも良い未来の形成に役立つ何かを提示していない点で、その反対意見が意味を成すとは思いません。
(ただし、その反対意見が何らかの意思表示であることは確かなので、その反対意見が意味を全くなさないとも思いませんが)
このことから、案に反対する人の側も、
対案Bを持ち合わせているほうがbetterですが、
対案Bを持ち合わせていないにしても、
他の人も理解可能な懸念Cを言語化して伝えることは必要だと
私は思います。