静かな退職(quiet quitting)について考える
静かな退職とは何か
ふと、手に止まった、Youtubeのショート動画。
気になる言葉でつい本編の動画に目を走らせる。
「静かな退職」とは、、、?
マイナビ キャリアリサーチLabから引用させてもらう。
「静かな退職」という言葉を知ったときの素直な反応
与えられたことしかやらない、期待以上の成果を出さない、そんな心持ちで働くなんてよくない、と「静かな退職」は完全に「悪」だと思った。
サラリーマンとして働く以上、会社の目標達成に向けて自分になにができるのか考え、実行し、時には失敗し、怒られ、励まし、ゴールに向かってみんなで頑張っていかなければならないのではないか、、、
直感ではそんな風に思った。
しかし、改めて考えるとどうだろう。
昔ながらの考え方、「洗脳」の一種も含まれているかもしれない。
私は1997年生まれの現在26歳であり、Z世代の2年生(あたり?)だ。
2020年4月に社会人になり、入社式は緊急事態宣言下でオンラインで開催された。
とはいえ、私の価値観はどちらかというとZ世代というより、ミレニアム世代に近いものがあるように思う。
時間をおいて考えてみた。
静かな退職の対義語は?
「静かな退職」の逆はなんだろうか。
かつて「企業戦士」や「モーレツ社員」と呼ばれていたような、仕事を生活の中心に置き、昼夜問わず働いているようなスタイルとする。
「24時間働けますか」のキャッチコピーこそまさしく。
ただ、これらはご存知の通り、
長時間労働の問題や女性や高齢者を含む多様な人材の活用を背景に、2019年に働き方改革が提唱され、すっかり時代遅れな言葉になった。
人間としての生活が送れるよう国が制限を作るのはメッセージ性としてもある程度必要だと思うし、
働き方改革には大いに賛成である。
では、「モーレツ社員」でなくなったら、
何を失うのだろうか。
モーレツ社員の落とし物
私は全くモーレツ社員ではないし、当時のことはわからないのであくまで予想であるが、
モーレツ社員のモチベーションは「頑張ったらその分上司に認められて出世できる、その会社の社員であることがステータスだ」
なんていうような、
有名な会社で働いていること、肩書きを得ることで自分に箔をつけていたのではないか。
現在は、年功序列は崩壊しつつあり一つの会社で一生働くなんて考えられない時代になった。
会社の役職が自分のステータスと考えにくくなった。
従業員としての心構え
それでも従業員として働く以上、会社に利益をもたらさなければならない。
会社に貢献できることは何か考えるためには、
自分自身の能力を把握して、どんな特技で役に立とうか考えることと同義だと思う。
これをどんどんどんどん突き詰めていくと、
自分と会社の向いている方向が違うことに気づいてくる。
ある程度我慢することも必要だろうが、だんだん苦しくなってくるかもしれない。
社会も転職や副業を認める風潮もあり、
自分の能力を高めるために時間を使いたくなってくることもあるだろう。
仕事に費やす時間は最低限で、
能力がついたらもっと自分が活躍できる、別の働き方を選択したい。
そんな風に思うかもしれない。
「静かな退職」は、誰にとっても全く他人事ではないような気がしてきた。
次回、今年の新入社員は、どうやら「静かな退職」を目指している
「静かな退職」という言葉を知った後、「あれ、今年の新入社員は静かな退職を目指しているのかも?」と思うようになりましたので、まとめました。