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生きる意味

私は昔から人の顔色を伺って生きてきた。小さい頃に父が厳しく、そのせいで常に人を観察し、なにをして欲しいのか、それを叶えるには自分はどうすれば良いのかを考える癖がついてしまっていた。次第に、自分の意見が叶うよりも相手の喜びを見る方が幸せに感じてきた。それは今でも変わらない。

しかし、そんなふうに過ごしていると喜ばせたいと思って努力を尽くしていた人から、感謝でも喜びでもない言葉が帰ってきた。「自分がないね」と言われた。
それに対してしばらく腹が立っていたが、たしかに周りの人に自分の心のうちを話すことが少ないのでそう思われても仕方ないなとも思った。

なので今回は自分の生きる意味についての考えを話そうと思う。側から見たら自分がないように見える私でも、実は一つの信念に沿って生きている。

生きることは理不尽である

特に望んだわけでもないけれど、気付いたらこの世に生まれてた。
にもかかわらず、勉強や仕事などきついことを強制的に一生こなしていかなければならない。
これはすごく理不尽だ。この理不尽にずっと悩んでいた。
でも文句を言っても仕方がない。
幸いにも、偶然生まれてきたこの世には楽しいこともたくさんある。
そこで「何のために生きるのか」をずっと考えていて、私は一つの生きる意味・目標にたどり着いた。
きついことばかりの世に理由はどうであれせっかく生まれてきたなら、1つでも多くこの世を楽しみ尽くさなければもったいない。私の生きる意味は「この世を楽しみ尽くすこと」だ。
「楽しい」は人の価値観によって変わる。
私の楽しいには、笑ったりふざけたりとありきたりなことだけじゃなく、知ること、体験すること、見ること、会得すること、所持すること、勝つことなど無数にある。これらの楽しいことをやり尽くすことが私の生きる意味。だからこそ、自分の人生を評価をするのは周りの誰でもなく、死ぬ時の自分だ。

より楽しむには

ここで、1つの出来事を楽しむにあたり楽しさを倍増させる方法がいくつかある。例えばタイミング。衝動的にした方がいい出来事もあれば、あえて我慢して後にしたほうがより楽しい出来事もある。また、周りの人も関係する。一人でした方が楽しいこともあれば、友達とした方が良いこともある。恋人とした方が良いこともあるし、家族でした方が楽しいこともある。だから、悪い言い方をすると、周りの人は自分の人生を引き立てる脇役にすぎない。他人とは価値観が違うのだからいろいろ言われても、自分の価値観に合った人生を進むべきであると思う。

全ての行動の行き着く先

「この世を楽しみ尽くす」、抽象的な言葉だが、実は具体的でもある。例えば、私は将来車を買いたいと思っている。車を運転するのが好きで、かっこいい車に乗ると楽しいと感じるからだ。それを実現するにはお金がいる。そのためにお金を稼ぐ。だからお金を稼ぐ行為もただの自分の人生を充実させるための手段にすぎない。そのお金を稼ぐために今勉強を頑張っている。でも知ることを楽しいと感じるから勉強も楽しい。また、結果が出ると楽しいし、他の人と密かに競って勝つと楽しい。将来家庭を持ちたいとも思っている。家に帰って家族と団欒するのは楽しそうだからだ。そのためにお金を稼ぐ。自分の楽しいを実現するために。仕事で成果残すのも楽しいし、お金が貯まるのも楽しい。もっと楽しいをやり尽くすにはお金がいるから資産運用してお金を増やす。どんな出来事も最後に行き着く先は楽しいをやり尽くすこと。

もちろん道中は苦難がほとんどだ。しかし、一つでも多くの経験や体験をしたり、物を買ったりしようとすれば、やはりお金が必要となってくる。お金を稼ぐことは大事で、そのために今は勉強を頑張っている。こんなふうに考えるときついこと、嫌なこと(人)が全て引き立て役になり、気持ちが楽になる。
ただし、人を雑に扱うことは楽しくないことだ。自分はむしろ、人に優しくすること、人を助けること、人のためになることが楽しいと感じるから私は人に親切にしようと心がけている。

いずれ就職して働くことになるだろうから、働く意義を持つことはすごく大切だと思う。働くことに意義を持っていない人は私からすると自分がない人だと思う。私の考えでは、働くことは過程に過ぎない。働くことにどんな目的があり、また働いた先に何があるかを持っていないと人生は楽しくないだろう。

最後に

私は死ぬまでこのきつい世の中を楽しみ尽くしたい。死ぬ時に満足できるように楽しみ尽くすにはやはりお金は必要だ。だからこそ今はいろんな勉強を頑張ろうと思う。

もし今、ただ毎日同じことの繰り返しで辛いひとや、誰かにいじめられたり否定されたりして辛いひとはこの考えを少しで良いから参考にしてほしい。そうやって文句言っているひとは自分の人生の責任は絶対取ってくれない、その程度の関係性である。自分の味方はいつだって自分で、自分の人生を評価するのも自分だけである。だから、自分に正直に生き、自分を大切に生きてほしいと思う。

私のこの考えは正しいわけではない。この考えをばかにする人もいるだろう。でもそんな人には、人の人生にケチつける暇があるなら自分の人生を充実させればどうでしょうか、と言ってやりたい。これからも私は徹底してこの世を楽しみ尽くそうと思う。

夜中に書き始めて気がついたら外が明るくなっていた。また1日がんばろっかな。

膀胱が満タンになってきたので今日はこの辺で、またね。

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