#DQN ①~旅立ちの日に~
投稿する記事の雰囲気が、急にガラッと変わってしまいましたね。
いつもお世話になっております、ワディです。(*゚▽゚)ノ
このシリーズを始めた経緯については、こちらの記事を参照してください。
ワディのモットーは、
「難しいことも、楽しくわかりやすく。」(`・ω・´)
しっくりくるまでいろいろ試してみますので、しばしお付き合いください。
◇◆今日のコラボ元記事紹介◆◇
今回は、こちらの企画に参加させていただきます。
今回は、小学生時代を振り返って、先生とのエピソードを振り返ります。
◇◆おもひで① 1年生になったら◆◇
小学校入学。初めての担任のM先生は、50代のおばちゃんだった。
ぼくは日本語が少し微妙なまま入学したので、入学して初めの頃はあまり友達となじめず、図書館でかいけつゾロリを読み漁っていた。(´-ω-`)
日本で初めてできた友達の名前は、サトウ君。
当時の僕は、「同じ苗字の別人がいる」と知らなかったので、一人で近所をぶらついていたとき、「サトウ」という表札を見てさっそくピンポンした。
奇跡的に、学校で同じクラスのサトウくんだった。あだ名は「なおなお」。
それから、ぼくらは仲良くなった。(*゚▽゚)ノ
ある日、「一緒に帰ろう」と約束したなおなおがいつまでたっても来ない。
(#゚Д゚) 「あいつ、ぼくを忘れてどっか遊びに行きやがったな。」
(#゚Д゚) 「許せん、靴を隠してやれ。」
ぼくは、靴を隠して、怒りながら帰った。
これが、自分が思っていたより大ごとになった。(;´∀`)
ワディ問題児伝説の幕開けである。
どういう経緯か忘れたが、ぼくが靴を隠したことがばれた。Σ(゚д゚;)
悪気なしに、今日あったことを親に話したのかもしれない。
両親はお詫びの品を持ってぼくを連れてなおなおの家に飛んでいき、
ぼくは何度も頭を下げさせられた。(´·ω·`)
後で知ったが、なおなおは上級生のお姉ちゃんに会いに行っていただけで、ぼくとの約束を忘れたわけではなかったのである。(´Α`)
翌日、登校して自分の悪事が担任にばれているのが気まずかった僕は、担任が教室に来るのを見ると同時に、カーテンの裏に隠れた。
授業が始まるまで、隠れていた。
授業が始まったので、席に戻り、担任と気まずい話をせずに済んだと思ったぼくだったが、甘かった。
先生が授業よりも優先して、みんなの前で昨日起こったこと(靴隠し事件)を話し、ぼくを晒し上げたのだ。(^p^)オワタ
そのあと何がどうなったかよく覚えていないが、最悪の気分だったことだけは覚えている。自業自得だが。
それから、そのM先生が嫌いになった。授業中、先生が目を離したすきに散歩に行ったり、ひどいときはそのまま帰ったりした。
先生が話していても平気で口笛を吹いたりした。(^p^)
先生からすれば、完全に「なんだこの子は」だ。モンスターチャイルドだ。
この先生とはあまりいい思い出はない。でも、この先生のおかげで、ぼくは一応他の子と同じように授業を受けられるだけの「常識」を覚えた。
入学時からこの問題児ぶりだ。一番初めの肝心な時に担当した分、ストレスも半端でなかったと思う。(;´∀`)
最後までぼくを諦めずに見捨てなかったこと、感謝しています。(´-ω-`)
◇◆おもひで② 天使のS先生◆◇
3年生から、新しい担任になった。
ぼくたちのクラスが初めての担当になる、新卒の女性の先生だった。
バレーをやっていたらしく、背が高くて、いつも笑顔の先生だった。
当時のぼくにとって、先生というのはよくわからないルールを押し付けてくる大人だった。
でも、この先生には、心を開いた。めちゃくちゃ心を開いた。
義務教育の中でいちばん優しい先生だった。
3年生ごろまでは、一番上手に泥団子を作れる奴がヒーローだった。
泥団子には、作り手の個性が出る。
ちいさいやつ、おおきいやつ、ぴかぴかのやつ、素朴なやつ。
みんなそれぞれの泥団子を秘密の場所に隠して帰って、翌朝に割れていると激怒したものだ。(#゚Д゚)
砂利の混じってない砂をサラサラの粉、通称「サラ粉」をみんなが探した。
ワディは目の付け所が違った。なぜなら、問題児だからだ。(^p^)
ワディの通学路に、ヤマト運輸があった。
その隣の小さな作業場は、おそらく建設系の業務をしてたのだろう。
いつもレンガだかセメントだかの袋が破れて、粉がこぼれていた。
ワディは目を輝かせて、恐れ知らず特有の行動力を発揮し、作業場のおじさんに交渉して、少しセメントの粉を分けてもらうことに成功した。
翌日、学校にセメントを持って行った。
誰も持っていない粉を持っていたぼくは、たちまち人気者になった。
普通の先生なら発見したら即没収するところを、S先生は快くOKをくれた。
なんなら、踊り場が汚れないように新聞まで引いてくれた。
(余談だが当時の僕はバカなので、セメントの粉をポケットに入れていた)
全員分はなかったので、なおなおと、他の選ばれしものだけに分け与えた。
泥団子に粉をかけて、いつもの隠し場所に寝かせた。
翌日、泥団子界に革命がおこった。(`・ω・´)
昨日寝かせた泥団子は、いくら落としても割れない、カッチカチのセメント団子に進化していたのだ。
「泥団子は割れるもの」という常識を覆したぼくは、鼻高々だった。
友達の団子とぶつけ合い、粉砕しては勝ち誇る、いやな奴になった。
そして、また事件が起こった。(´-ω-`)
泥団子の強度を試すべく、ぼくは3階から地面に泥団子を落としたのだ。
幸い誰も通りがからず、けが人はいなかったが、目撃者がいた。
校長だった。(^p^)オワタ
校長に呼ばれたぼくは自分のセメント団子を自慢げに説明し、担任が呼び出された。
そのあとのことは覚えていない。
大好きだったS先生は、4年になった僕らの担任を終えると、去った。
真相は知らないが、相当こっぴどく怒られたはずだ。(´Α`)
でもS先生は、一切ぼくを責めることもなかったし、いつも優しかった。
S先生は、今も元気にしているだろうか。まだ先生を続けているだろうか。
ぼくの思い付きを真っ向から否定せず認めてくれたこと、感謝しています。
◇◆おもひで ③校長のサイン◆◇
ぼくの通っていた小学校の校長は偉大だ。
いつも話題に事欠かないぼくを、絶対退学にしなかったからだ。
人んちのガラスを(キャッチボール中に)割って逃げたり、ピンポンダッシュの常習犯だったり、ダンボール置き場の部屋に勝手にカギを取り付けてエッチな本を持ち込んだり、、、こんなのは全部かわいいほうだ。
普段、直接校長と生徒が接するような機会はなかったが、ぼくはある。
最後は珍しくいいエピソードだ。(*´∀`)
5年生の頃、周りはみんな流行りのゲームをしていた。
ぼくは時代遅れのゲームボーイでポケモン金をエンジョイしていた。
(当時はもう誰もプレイしていなかったので、図鑑は結局未完成だ。)
周りから変わり者と思われていただけあって、変わった遊びを流行らせるのが得意だった。(;´∀`)
友達をひきつけるには、ゲームよりも魅力的な遊びを創造しなくては。
ぼくが思いついたのは、「サイン集め」だった。(·∀·)
小さな単語帳を母からもらって、まだイマイチ使い方をよく把握していなかったぼくは、みんなのサインを集めることにした。
隣の子、なおなお、女子、先生、管理用務員さん。
そして、校長先生。(*゚▽゚)ノ
当時、生徒から見た校長先生というのは、「何をしているのかよくわからないけど、偉くて、話の長い人」という認識だった。
自分からわざわざ話しかけるやつなんて、いなかった。(´-ω-`)
当時「ノック」という作法を知らなかったワディは、校長室に乗り込んだ。
驚く校長、校長の机に歩み寄るぼく。そして一言、
「サインください。」(*゚▽゚)ノ
校長は、意味が分かっていたのかわからなかったのか、サインをくれた。
ぼくはヒーローになった。(`・ω・´)
後追いが続いて校長先生の仕事の邪魔になるといけないので、校長先生にサインをもらいに行くことは禁止になった。
ぼくだけが唯一、校長のサインを持っていた。(´∇`)
引っ越しの時、その単語帳はどこかに行ってしまった。思い出だけ残った。
子供のいたずらを足蹴にせず、真摯に対応してくれた校長は、偉大だ。
◇◆世の中の先生方へ◆◇
もし、この記事を読んでいる中に先生がいらっしゃったら、
「自分がワディの担当じゃなくてよかった」と心底安堵しているだろう。
教師という職業は、本当に大変だと思う。(´-ω-`)うちの親もモンペだった
うちの親父は、ぼくが門限を守らなさすぎて、本気で修学旅行に行かせないと言い張ったこともあった。6年生の時の担任は、ぼくを修学旅行に行かせるために何度も頭を下げてお願いしに来た。(´Α`)
子供が言うことを聞かないのは、自分を「充分大人だ」と思っているから。
子供の自尊心を傷つけず、その子の将来を見捨てないのは、本当に難しい。
でも、未来を築いていくのは、今の子供たちだ。(´-ω-`)
先生が、子供にとって「親」以外の大人の見本だ。(*゚▽゚)ノ
ぼくは、本当にクソガキだった。ここでは書けないような事件もたくさん起こしている。現に6年生の担任は、30代で全部白髪になった。
でも、そのクソガキにも、いつかわかるときが来る。(゚Д゚)ノ
教師は酷な仕事だ。教え子が立派になっても、それを知る機会が少ない。
いつかぼくも有名になったら、「良き師に恵まれたおかげです」と言う。
世の中の先生方、いつもお疲れ様です。(´-ω-`)ありがとうございます。
社会情勢が不安定で大変な時期だが、大人が子供を諦めてしまっては、日本に将来はない。(´·ω·`)
その大人たちの中で、教育の第一線に立って、日々「未来の希望、可能性」を育んでくださっているのが、あなたがた「先生」です。(*゚▽゚)ノ
これからも、ワディは先生という職業を応援します。(`・ω・´)
◇◆最後に◆◇
デルトラクエストやクトゥルフ神話のように、文章や会話で臨場感を出せるよう工夫していきます。
現在のイメージは、『moon』×『ノベルゲーム』×『note』です。
面白い企画だと思ったら、応援よろしくお願いします。(*゚▽゚)ノ
◇◆次回予告◆◇
問題は画像の吹き出しにすると検索に引っかからないことだ、、、
今後は顔文字でデフォルメするか、、(´-ω-`)
◇◆宣伝◆◇
ワディの力作、「#noteで役立つ心理学」、シリーズ完結。
こんな企画を思いつく、ゲーム脳炸裂記事、「No game No life」
魂を削った、買う価値ありの有料記事。内容の濃さは普段の記事の3倍。
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ちなみにこの方は、ぼくの応援に熱がこもりすぎて、グローバル展開まで視野に入れてくださっています。感謝。(*´∀`)
謙遜されていますが、すごい英語力なので、英語を学びたい人はどんどん頼りましょう。すごく親切な方です。(`・ω・´)
◇◆今日のワディおすすめの記事◆◇
【ワディの感想】
林修先生が何かの番組で、似たようなことをおっしゃっていたのを思い出しました。
林修先生は、別に塾講師の仕事が好きなわけではないそうです。(´·ω·`)
ただ、「自分が好きなこと」より「できること」のほうが、社会に貢献できることが分かったから、講師を続けられています。(´-ω-`)
(実際に、自分の好きなことを詰め込んだエッセイが全然売れなかった)
やりたいことや好きなことがなくても、「今が充分」と思えたら、それでいいのかなとぼくは思います。(*´∀`)
◇◆実績◆◇
ワディ流のやり方での実績は、note開始29日時点でこんな感じです。
その100円が、ワディのゼンマイを回す