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天使ちゃん/Grapevine 読むバイン
あざす
以下同
で始まる2025年ひとつ目のGrapevine新曲。シングルで言うと43作目になるという。アルバムは18作。他にミニアルバムが3作ある。1993年に活動開始、1997年ミニアルバム「覚醒」によりメジャーデビューを果たす。2025年は、デビュー28年目と言うことになる。あざす。
書き手の僕は42歳。2ndシングル「君を待つ間」でGrapevineを知り、それ以来ずっと、一つ一つの新曲を、ありがたいお経のように拝んでは念じ、拝んでは念じ今日まで何とか生きてきた。何と言うことはない人生だが、浮世の流れにただ身を任す生き方にも飽きて、昨年より、何か我にも出来ることはなかろうか、そうだGrapevineの全曲解説でも始めてみようと思い立ったところだ。あざす。
トーキングブルーズっちゅうのを聞いていけ
と、不意に肩を組んでくる酔っ払いみたいな不穏さで絡んできた田中和将。トーキングブルースっちゅうたらあれか、古舘伊知郎の? と聞きたくなるが、それはブルースのコード進行にメロディーらしいメロディーを乗せずに自由に歌う形式のことだそうだ。兎も角、ファンは誰しも、Grapevineが古いR&B /リズム・アンド・ブルースをルーツとしたロックバンドであることを知っている。最近、「ねずみ浄土」や「目覚ましは鳴り止まない」といったシティポップ路線や「sex」のようにラップミュージックさえ取り入れる守備範囲の広さを楽しんできたが、ブルース・ハープをけたたましく、破廉恥なまでに響かせる田中和将の不逞さの、今まで聴いたことのない斬新さに驚かされるものの、むしろ原点に戻ってきたとも言える。奇しくも同じ天使がモチーフの第41作「Loss (Angels)」は、どう読み解いたとしても田中和将の幼少期、それも兄にスポットを当てて描いたものであることは明白であるが、音楽的な意味でも、テーマ的な意味でも、田中和将とGrapevineは、今、先端から根底へと戻っては歴史を歩み直そうとしているのかも知れない。(田中和将の幼少期と兄のことについては、#読むバイン #4 「Through Time」に多少まとめたので、興味があればご一読願いたい。)
さてさて。難解なことで有名なGrapevineの歌詞世界だが、今回の「天使ちゃん」で言えば、「ベルリン」、「天使の詩」と分かりやすくモチーフを明示してくれているので、その意図は分かりやすい。懐かしいけれどいつ観たかさえ定かではないヴィム・ヴェンダースの名画のタイトルを吐き捨てる様に田中和将が唄ったとき、にやければいいのか、唸ればいいのか、興奮すれば良いのか、よく分からなくなってしまった。
筋もすっかり忘れてしまっていたので、この二日間をかけて見直した。いやはや素晴らしい映画だ。Amazonプライムで4kレストア版が観れるので、この機会に是非一人でも多く観るといいのになあと思う。「天使ちゃん」が、如何にこの映画の設定と表現方法をオマージュしているかが分かるだろう。私の要約は巧みとは言えないので、どこまでこの映画の魅力を簡潔に伝えられるか分からない。それに、この「ベルリン・天使の詩」だけでなく、田中和将が歌のモチーフとして持ち出してくる作品はどれも逸品ばかりなので、ファンは勿論、素晴らしい芸術を一つでも多く知りたいという人は、Grapevineの作品を起点にまだ観ていないものには触れてみるといい。きっと満足できるはずだ。
「ベルリン・天使の詩」のあらすじはこうだ。第二次対戦後、冷戦下のベルリン。街は復興を始めているものの、戦争の爪痕もまだ生々しく残っている。何より、街に聳え立つ高い壁が、東西を二つに隔てている。人々は生活に困窮し、浮浪者が街に溢れている。モノクロームの陰鬱な街だ。
街には天使がいる。我々が想像する天使とはずいぶん違う。オールバックにした髪はやや後退し、顔には深い傷が刻まれた中年の男だ。
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彼ら天使は人類が誕生する遙か昔からこの世界に住んでいる。サルがヒトになり、農耕をはじめ、あるほんの少しの諍いから初めの争いが生まれ、その後ずっと戦争の歴史を繰り返してきた人類を、穏やかさと諦めの眼差しで眺め続けている。人々に、彼ら天使の姿は見えない。売り物の自動車のシート、電車の中、国立図書館の空いた椅子に、彼らは座り、歴史の中で個々人の小さな暮らしと深い悲しみをずっと観察し続けている。
これが「ベルリン・天使の詩」、そして「天使ちゃん」の基本的な構造だ。昭和、平成、令和の、時代を映す小道具、「清張」「レイ・チャールズ」「軽トラック」「カラーTV」、「エア・ジョーダン」… その時代をうろつく惨めでやりきれぬ人々。
「ベルリン」の天使たちには、人の心を読むことができる力がある。そして生きるのをもう諦めようとする人々の肩に、そっと手を触れることで、俯いた顔を少し上にさせ、ほんのわずかな希望を思い出させる。ある者はそれでもう一度やり直せると立ち上がるが、ある者は天使の声無き励ましも虚しくビルから飛び降りる。そんな時、天使でさえ絶叫し、この世の残酷を嘆く。
主人公は、サーカスのブランコ乗りの女に心奪われる。サーカスの経営は厳しく、もう若いとは言えなくなってきた彼女はクビを切られそうだ。命綱なしでショーに挑む彼女は、毎日の仕事に死の恐怖で怯えつつも、誇りをもってステージに挑んでいる。主人公は始め、気の毒さと哀れみから彼女の側にいるのだが、次第に彼女の気高さと美しさに心奪われていく。すると、主人公は人になる。モノクロームの景色が色づき、世界と日々の美しさに感激する。天使である主人公にとっては、ブランコ乗りの彼女こそが天使だった。ついに二人は出会い、言葉を交わす。そんな話だ。
Grapevineの面々は、言うなれば我ら市井の人間に対する天使の役割だ。彼らは時代を観察し、歌を作る。
声にならない僅かなエコーを
拾い集めて
こぼれそうな それをどうやって
うたえばいいんだ
と、かつて田中和将は歌った。「ベルリン」で天使が行なっていることがまさにそれであり、彼らの届ける曲は、天使が肩にそっとおく手のひらだ。それで僕は顔を上げて、今2025年。どうしようもない、碌でもない人生を何とかやり過ごして歩いてきた。他のファンはどうだろう。
今から振り返って最後のアルバム「Almost There」は、これから訪れる近未来・シンギュラリティとそのディストピアを描いた作品だった。(これについては、#読むバイン #Ub で考察した。)
それから少しずつ間を置いてリリースされた「Loss(Angels)」「Ninjya Pop City」、そしてこの「天使ちゃん」は、【過去】と【今】を繋いでいく点で共通している。「Loss(Angels)」は幼少期の兄と今の自分、「Ninjya Pop City」は、いにしえの忍びと仮想現実とうつつを行き交う現代の若者、そして昭和、平成、令和を概観する「天使ちゃん」。それはつまり、「生きるとは何か」「人間とは何か」を、大きく描こうとするモザイク画だ。次のアルバムではさらにパーツが加わり、このあまり褒められたものではない私の人生にも、何か意味を見出すような示唆を与え、顔を上げる勇気をくれるだろう。あざす。
いや、ありがとうグレイプバイン。
【著作権について】
本記事では、日本のロックバンドGrapevineの音楽、主にその歌詞を考察していきます。Grapevineは、歌詞については、ギターとボーカルを担当する田中和将氏が書いています。そのため、歌詞の一切については著作権者は田中和将氏にあるものと考えております。ただ、日本の著作権法には以下のような一文があります。
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
本記事は、公表された著作物について、引用して批評・研究しようとするものであり、著作権者の権利を侵害するものではないと考えています。また、その意思はありません。万一、引用の仕方や分量について、著作権を侵害するような部分があると感じられた場合、ご指摘いただければ改善に努めます。
なお、本記事の文につきましては、先に述べました著作者Grapevine及び田中和将氏の権利を害さない限り、転用して構いません。その際、ご一報頂けると嬉しく思います。