ファンを表明する方法の変化
1984年生まれ、埼玉県民の私がファンになった最初の対象は、西武ライオンズ。
辻、平野からはじまり、秋山、清原、デストラーデで構成するクリーンナップ。石井丈裕、渡辺久信、工藤公康、郭泰源、潮崎哲也など豪華投手陣。タレント揃いだった。そして強かった。
当時のわたしは西武ライオンズのキャップを被り、ユニフォームを着て、西武ライオンズのファンであることを表明した。ファンであることを"body”で表現していた。
Jリーグ開幕と共に、サッカーをやり始めた私が中学生の頃にファンになったのが中田英寿。
「勝つことが目的だから」と試合中は年齢が上の選手を平然と呼び捨てにする。インタビューで堂々と話すメンタル。中でも「サッカーだけしか知らない人になりたくない」と学問も手を抜かなかったスタンスに大いに影響を受けた。
当時読書の習慣は皆無であったが「中田語録」という本を何度も読み返し、彼の考え方や心の整え方、言葉遣い含めた「哲学」を自分にインストールしていった(この本を通じて読書の習慣も身につけた)。
当時のわたしは中田英寿の考え方やスタンス、「哲学」に影響を受けることで彼のファンであることを表明した。ファンであることを”mind"で示した。
2020年現在、キングカズこと三浦知良選手の大ファンだ。
大ファンとはいえ、同じ洋服を着たり、背番号11の横浜FCのユニフォームを着ているわけではない。彼の書いた本は読むし、Number中心に雑誌のチェックも怠らないが、”mind”そのものをキングに委ねているわけではない。
うまく表現できないが、わたしがファンなのは彼の”魂そのもの”だ。ああいった人格領域に少しでも近づけるよう、日々じぶんの魂を磨いている。
ファンであることを”body"で表現した幼少期、”mind"面で影響を受けた思春期。
いま現在は”spirit”
魂そのものや精神性、その類を感じ取る感覚。目に見えるものをマネるでもなく、言葉にされた哲学や思想に影響されるとも少し違う、感じ取る感覚。
少しでも近づくことで「わたしはキングカズのファンである」ことを意思表示している。
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