端午の節句
2006年5月 5日 (金)
今日は5月5日、端午の節句ですね―。
ウチも今日のお昼は、初節句やお宮参りのお客様で賑やかでした。
かつてこの節句は、「月初め」という意味の「端」の午(うま)の日、という意味で毎月あり、5月に限ったことではありませんでした。
しかし、「午」(ご)が「五」に通じるところから、しだいに5月5日の節句となり、五節句の一つとなって現在にいたったといわれています。
本来この日は、農耕暦で「田の神を迎えるハレの日」であり、女性の休業日でありました。
人々は家の仕事を休み、桃の節句と同じように、人形(ひとがた)で身体をなでて厄払いをしたり、魔を祓う香気をもつ「菖蒲」(しょうぶ)や「蓬」(よもぎ)を軒先に吊るしたり、湯や水に入れて禊(みそぎ)をしたりして身を清め、田の神様をお迎えしたのです。
また、このとき家々にはのぼりを立てましたが、これは祖先の霊を迎えて、田の守り神になってもらうための目印にしたからといわれています。
時代が下がって鎌倉時代になると、「菖蒲」(しょうぶ)が「尚武」(しょうぶ)に通じ、「武芸による徳を尊ぶ」ということから、武士の間では重要な節句となりました。
また江戸時代になると、幕府が正式に5月5日を式日に定めます。
大名や旗本は正装して将軍家に拝謁し、祝い品を献上して寿ぎ、自宅でもこの日を祝いました。
この時代特に、武家に後継ぎである男児が生まれると、門前にのぼり旗や馬印、槍や弓矢を飾ってこれを知らせ祝いましたが、これがのちの五月人形のもととなります。
そういった風習はやがて庶民にも広がり、しだいに5月5日は男子の健やかな成長を祈るお祝いの日となっていったのでした。
ところが、平民が武家のものである「戦のぼり」を挙げることはできません。
そのため、子供の立身出世や健康を祈って、勇壮な「鯉の滝登り」を模した「鯉のぼり」が作られるようになり、庶民の間に大流行しました。
また、子供の身を守るための鎧冑や破魔の弓矢、太刀も、室内に飾れるよう、小さく作られるようになりました。
そして、鬼や魔を払ってくれるという鍾馗(しょうき)様や、力持ちで後に出世した金太郎などの人形をともに飾り、健やかな成長を願ったのです。
食べる方では、端午の節句に「ちまき」や「柏餅」を用意しますね。
「ちまき」は、端午の節句とともに、中国から入ってきました。
もともと「茅(ちがや)で巻いたもの」という意味ですが、消毒作用があり邪気を祓う香気のある笹で巻いたものが多く、無病息災を祈って食します。
いっぽう「柏餅」は、室町時代の終わりごろすでに食べられていたそうですが、新芽が出ないと古い葉が落ちない柏の姿に、代替わりして続いていく家の姿を重ねて、子孫繁栄を願う気持ちが込められているのです。
そして最後に「酒」の話をしましょうか。
中国では、端午の節句に「菖蒲酒」を飲みました。
酒に菖蒲の葉や茎をひたして香気を移し、それを飲むことで体内の邪気を祓ったのですね。
また、風呂には「蘭」(らん)を入れた「蘭湯」だったそうです。
う~ん、なんだかゴージャス♪