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亡相嶋氏ご遺族 本人尋問再現
2023年6月16日の本人尋問を和田倉門法律事務所が再現したもの
−あなたのお父さんであり、この訴訟で問題となっている刑事事件で逮捕・勾留、起訴された相嶋靜夫さん(以下「靜夫さん」)は、あなたから見てどんな人柄でしたか?
正直な人間で、正義感が強く、まっすぐな人でした。
−靜夫さんは、大川原化工機でスプレードライヤの設計や開発を行っていたんですよね?
はい。
−あなたから見て靜夫さんはどんな風に仕事をされていましたか?
人の役に立つ仕事に誇りを持っていて、若い頃は忙しく働いていました。
−スプレードライヤには愛情を持っていたんでしょうか?
はい。とても愛情を持っていたと思います。
−晩年、60歳や70歳になられた頃はいかがでしたか?
歳をとり、孫ができた頃から、仕事を徐々にセーブし、家族や孫と過ごす時間を大切にするようになりました。
−休日はどのように過ごしていましたか?
自然の中で孫と過ごすのを何よりの楽しみにしていました。本栖湖に立てた別荘に薪ストーブを取り付けたり、孫のために様々な遊具を森の中につくったりしていました。
−2018年、靜夫さんと奥様は、もともと住んでいた横浜から富士宮に移住したんですよね?
はい。
−移住先はどんな家でしたか?
富士山がきれいに見える、とても環境の良い場所にある家でした。
−靜夫さんや奥様は、富士山が好きだったのでしょうか?
もともと好きで、本栖湖に別荘を作ったのもそのためでした。
−富士宮へ引っ越してから、靜夫さん達はどんな様子でしたか?
景色の良いところで、孫たちと遊んだりしながら悠々自適に過ごしていました。
−お孫さんも富士宮に遊びに行っていましたか?
はい、よく遊びに行っていました。
−悠々自適な日々を送られていたのですね?
はい、このような良いな日々がいつまでも続けばいいと思っていました。
−2020年3月11日、靜夫さんは、今回の件で突然逮捕されてしまいました。逮捕された時の様子は、お母様から聞いていますか?
はい。朝、捜査員が自宅に来て、家宅捜索を行い、母に何も言わずに父を任意同行したと聞いています。
−任意同行された後、お母様はどうされていたのでしょうか?
いつも通り夜に帰宅すると思い、夕食を準備して父の帰宅を待っていたそうです。
−翌日、ニュースで靜夫さんたちの逮捕が報道されたんですよね?
はい。
−そのニュースを見てどう思いましたか?
とにかくショックで、何が起きたのか分かりませんでした。
−奥様はどんな様子でしたか?
同じく何が起きたか分からないと言っていました。落ち込んで、とにかく混乱していました。
−他のご家族、ご親族はどうでしたか?
みんなただただショックを受けていました。
−周囲にどう思われているのか気になりませんでしたか?
はい。疑心暗鬼になっていました。
−逮捕後、靜夫さんは身体拘束を続けられましたが、どう感じましたか?
ストレスを受けているんだろうなと思っていました。71歳と高齢だし、体調が心配でした。
−9月下旬、靜夫さんは、貧血症状で輸血を受け、10月には内視鏡検査で悪性腫瘍と診断されましたが、それを聞いてどう思いましたか?
不安が当たってしまい、体調を崩してしまったと思いました。
−外部の病院に入院するまでの間、靜夫さんはどんな状態でしたか?
自分は接見禁止になっていて会えませんでしたが、母によると、父は受け答えもままならない様子だったとのことでした。
−そういった状態の靜夫さんを見て、奥様はどんな様子でしたか?
嘘を言ってもいいから、罪を犯したと認めてしまって、外に出してもらうよう父に提案したそうです。
−それほど追い詰められていたということでしょうか?
はい。
−2020年11月、靜夫さんは、外部の病院に入院しましたが、そのとき、靜夫さんは何か言っていましたか?
「拘置所で殺されるところだった」、「ありがとう」、と言っていました。
−ご家族も面会に行かれたのでしょうか?
コロナで面会制限がありましたが、できる限り面会して、みんなで励ましました。
−接見禁止で会えなかったご家族も面会できるようになったんですね?
はい。最初は接見禁止で会えませんでしたが、11月末頃には会えました。
−入院した際、悪性腫瘍は肝臓に転移しており、ステージ4だったんですよね?
はい。
−そのことは靜夫さんにも伝わったのでしょうか?
はい。
−刑事裁判が係属中で、被告人という立場でそのような宣告を受け、靜夫さんは何か言っていましたか?
「疑いを晴らすまで生きられるよう治療を頑張る」と言っていました。
−靜夫さんは2021年2月に他界されました。その時も、未だ刑事被告人という立場でしたが、どのように感じられましたか?
愛情を注いできたスプレードライヤに対して軍事転用可能などという謂れのない疑いをかけられ、仕事を誇りに生きてきた父が、人生の締めくくりで仕事を社会から否定されるような形となったことがとても悔しいです。
−靜夫さんが亡くなってから5ヶ月後の2021年7月30日、東京地方検察庁が起訴を取り消しましたが、これを受け、どう思われましたか?
そもそも逮捕、勾留も必要なかった。とんでもないことをしてくれた、どうしてくれるんだ、というのが率直な気持ちでした。
−靜夫さんが他界されてから、約2年4か月が経ちました。今のあなたや、ご家族の思いはいかがですか?
時間が経っても悔しい思いは癒えることはありません。特に、富士宮でひとりきりになってしまった母は、とても辛い思いをしています。家族が心に傷を負っていることは変わっていません。
−最後に、今回の件について言いたいことはありますか?
逮捕されるべきではない人が逮捕され、起訴されるべきではない人が起訴されました。任意捜査から3年にわたる捜査のなかで、誰も止められなかったということになります。刑事司法の大きな失敗だと思います。当事者である警視庁や検察庁は、自律的に本事件を検証し、事実経過と責任の所在を明らかすべきですが、この訴訟では未だに反論を繰り返しており反省が見えません。警視庁、検察庁は公益代表としての使命を自覚し、その社会的責任をしっかり果たす義務があると思っています。
以上
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