「パワハラかどうか」はもはや意味なし? 〜KPMG英法人会長が失言で辞任〜
KPMG’s UK boss steps aside as firm probes comments that offended staff
https://www.ft.com/content/3c3c07d1-ffb9-4288-aea4-41acf3f3bbff
下書き投稿をほかほかと温めていたら初夏になってしまいました…。
少し前の記事ですが、会計事務所KPMGのビル・マイケル英法人会長は、ビデオミーティングで、従業員が賃金や年金カットにつき心配する旨コメントをした際に、「愚痴をやめ」、「被害者を演じないように」と発言しました。その後程なくして、マイケル氏の辞任が報じられます。
昨今、ハラスメントについての社内研修の講師をお引き受けすることがとても増えています。この研修の中で、やはり悩ましいのが「どこからが違法なパワハラで、どこまでがセーフなのか」という点です。パワハラは非常にグレーゾーンが多く、なかなか明確にお伝えするのが難しい、というのが正直なところです。具体的な裁判例や事例をひとつひとつ見ていって、「なんとなくわかった」というところを目指してお話をしています。
ただ現在、「違法かどうか」ということは、もはやあまり意味をなさなくなっているとも感じています。
つまり、訴訟で「違法」とされるハラスメントでなくても、世の流れを読み間違えた「不適切」な行為を行うことで十分にリスクがあるということです。
KPMGの会長の言い方は、少なくとも日本では、「ただちにパワハラ」とまでは言えないかもしれません。しかしながら、コロナ禍における世界的にセンシティブな状況で「被害者面するな」と述べるのは、実際に辛い目に逢っている方の感情を逆なでするようなものです。
こういった傾向は年々高まってきています。ジェンダー認識の不適切さによる炎上CMなども典型です。「お母さん」だけが料理その他の家事をして、仕事もして、「お父さん」が出てこない、というCMが炎上したことは記憶に新しいところです。
五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視的発言もこの類型に当てはまるでしょう。
KPMG・森さんの発言に共通することは、「発言した本人を攻める気持ちが(あまり)なくても、組織として対応せざるを得なくなっている」という点です。「不適切発言をしたトップをそのまま置いておくということは、組織としてもその発言に賛成ということか」と言われてしまうためです。
森さん発言を受けて、スポンサーとなっている各企業が多数、遺憾の意を表明しました。この点も最近の傾向として特徴的で、以前であれば黙っていればよかったところを、むしろ積極的に反対の意を表明しないと「あんたのこところも森さんの意見に賛成なのか」と取られてしまうのです。
この通り、現代においては、ある言動がパワハラとして「違法」かどうかに拘泥するのではなく、世の流れを読み間違えないということこそが、企業のリスク対応として求められる姿勢となってします。(こういってしまうと「では弁護士などいらないではないか」ということにもなりそうで、辛いところではあるのですが…)