ポツネン氏の描く『孤独』が好きだ
※この記事は、小林賢太郎作品「ポツネン」「○~maru~」「The SPOT」「うるう」「KKTV2」に関するネタバレを含みます。
最近、ようやく気付いたことがある。
私って、自分が思っているよりずっと寂しがり屋なのではないか?
私は今まで、自分は孤独を好む人間だと思っていた。実際、ひとりで気楽にどこかへ行ったり何かを作ったりするのは大好きだし、人といるのも十分楽しいが、誰もそばにいない時間も同じくらい大切だと思う。
けれどもその『たのしい孤独』は、蓋を開けてみれば、帰る場所や心の支えと言えるような何かがあるからこそ成立していたのだと、ようやく分かってきた。
過去のnote記事にも何度か書いているように、私は小林賢太郎さんの作品、とりわけ彼のソロ公演「Potsunen」が大好きだ。その大きな理由の一つは、「Potsunen」という題名からも分かるように、作品の根底に『孤独』の匂いがするからだ。
公式YouTubeに上がっている演目は昨年夏に既に見尽くしてしまったが、つい先日、このソロ公演をテレビ番組向けに再構成したと言える「小林賢太郎テレビ1・2」(以下「KKTV1・2」)のDVDを鑑賞したことで、改めてその素晴らしさを噛みしめることができた。
特に「KKTV2」のストーリーでは、『孤独』がキーワードになっていたように思える。
主人公であるキャラクター・ポツネン氏が飼っていたのは、孤独を食べる”バク”。しかしそれはあまりに大きくなりすぎてしまったため、彼はそれを森に捨ててしまう、というところから物語は始まる。そして番組の一番最後に、彼は自分の家の玄関から外を見上げ、「おかえり」と呟く。
この「おかえり」というひとことに、私はあまりにも多くの感情を読み取ってしまった。自身から湧いて出る孤独感と付き合いながら生きていくにはこのバクが必要だという諦め、名残惜しくも捨ててきたバクが帰ってきてしまったことに対する困惑、呆れ、そして安堵。
『孤独』そのものに対してだけでなく、孤独と切っても切り離せない自分へのかなしみが滲んでいるようではないか。
そして私は、この感情を、どうしようもなく美しいと感じてしまう。
「Potsunen」で小林さんが演じるいくつかのキャラクターは、こんな物語を持っていると私は考える。
”舞台上で、楽しそうにひとり遊びを展開する人物。しかしふとした瞬間、自分が孤独であることにとうとう気づき、寂しいという感情を自覚する。そんな彼のもとに、彼の孤独に寄り添う、儚くも尊い存在が現れる。”
「ポツネン」の悪魔、「○~maru~」の絵描き、「The SPOT」の王様やうるうびと。加えて、小林賢太郎演劇作品「うるう」のヨイチ、そして「KKTV2」のポツネン氏。
孤独を自覚した彼らの元に訪れる存在は、食べ物やら人形やら影絵やら、よく考えてみれば決定的な救いとは呼べないものばかりだ。それでも、考え抜かれた仕掛けによって劇的に現れるその存在は、確かにその瞬間、彼らを救い、同時に観客の心を動かす。
自分とは切っても切り離せない『孤独』と、時にたのしく戯れ、時に押しつぶされそうになりながら、一緒に生きていく。そんな物語が私にももたらされること、或いはそんな物語を私がつくり出す日が来ること、それを夢見ている。
(余談だが、私は「うるう」をKKPというよりPotsunenだと思っているし、「ポツネン氏の奇妙で平凡な日々」をPotsunenというよりKKPだと思っている。一人芝居に独特の魅力があるか、というか。)
(見出し画像は、以前描いたPotsunen 「The SPOT」の王様。)