【チェンマイを知るvol.2】ランナー様式とは
チェンマイでよく見かける寺院はデザインがかなり凝っている。小さな装飾がたくさん掘られているし、細いシルエットや繊細さが高尚さを引き出している。
バンコクにある大きくて優美な雰囲気とも違うし、アユタヤのどっしりとした感じとも違う。その独自性をせっかく訪ねるなら知っておきたい。
チェンマイの寺院を象徴している、「ランナー様式」を紐解くことにします。
ランナー様式とは
ランナー様式は、13世紀から18世紀にかけて北タイで栄えたランナー王国で発展した建築と芸術スタイル。特に、現在のチェンマイを中心に多くの美しい寺院が建てられました。
ランナー様式の特徴
ランナー様式の建物は、自然との調和を大切にし、繊細で優美なデザインで建てられています。寺院は木材を多く使い、複数の屋根が重なるデザインが特徴。彫刻や装飾には、神話に登場するナーガ(蛇神)やガルーダ(神鳥)がよく使われ、細部まで美しい装飾が施されています。
代表的な寺院
チェンマイには、ランナー様式を代表する寺院が数多くありますが、その中でも特に有名なのがワット・プラタート・ドイステープとワット・チェディ・ルアンです。
【ワット・プラタート・ドイステープ】
チェンマイ市内を見下ろす山の上にあるこの寺院は、ランナー様式の金色の仏塔(チェディ)が有名。仏塔は何層にも重なる形をしており、太陽の光を受けて輝く姿が圧巻。
【ワット・チェディ・ルアン】
チェンマイ市内にあり、ランナー王国時代の巨大な仏塔が特徴。チェンマイ最大のチェディと、周囲の寺院は仏教の宇宙観に従って作られたと言われています。かつてはエメラルド仏もここに安置されていたことがあり、王国の中心的な寺院でした。しかし、1545年の地震で上部30mが崩壊。再建されるものの以前の様式と変わってしまっているのではないかという指摘もあるらしい。
そもそもランナーとは?
ランナー様式の「ランナー」という名前は、13世紀に建国されたランナー王国に由来します。ランナー王国は北タイにかつて存在した王国で、現在のチェンマイを中心に栄えました。「ランナー」は、「百万の田んぼ」を意味し、豊かな土地と文化が広がる王国でした。
ランナー王国の始まり
ランナー王国は、1296年にメンラーイ王によって建国。メンラーイ王はチェンマイを首都に定めました。メンラーイ王は、仏教を厚く信仰し、王国の各地に多くの寺院を建てました。
王国の発展と繁栄
ランナー王国は、タイ北部一帯を支配し、豊かな文化と芸術を育みました。王たちは、仏教の守護者として、寺院を建設し保護することで、王たちの力や仏教の信仰を広めていきました。
戦争と衰退
15世紀から16世紀にかけて、ランナー王国はビルマ(現在のミャンマー)の支配下に置かれることになります。ランナー文化の消失は免れたものの、王国としての力は次第に弱まり、18世紀には、タイのアユタヤ王朝やトンブリー王朝の支配下に入ることになります。
ランナー文化の継承
ランナー王国は消えてしまいましたが、その文化と様式は、北タイの寺院や芸術に生き続け、今もランナー文化を語り継いでいるのです。
まとめ
チェンマイの寺院に見られる、繊細な装飾と自然との調和を大切にし、穏やかで優美な美しさを持ったランナー様式。チェンマイを中心に栄えたランナー王国のなかで、仏教の教えや王の力を広めるべく建築され、今に残っていることがわかりました。
チェンマイでは、優美さを感じてこようと思います。