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ギブファーストになろう
新年が明けて2日目。やることはたくさんありますが、積み状態にしてしまっています。よくない。
今年の抱負というよりは、当たり前レベルにやっていきたいことに”give”を考えたいと思いました。
めちゃくちゃ納得。ギバーとテイカー、マッチャーがいるとして、ぼくはギバーでありたい。
— 和田 晶雄 ┃ Akio Wada (@wd_gifu) January 1, 2020
ギバー&テイカー&マッチャーについて思うこと〜『GIVE&TAKE 「与える人」こそ成功する時代』を読んで。|まこつ(Makoto Matayoshi) #note https://t.co/X0AjKmhXB7
こちらの本があるのですが(まだ読んでいないため、筆者さまの文章を引用します)、ギバーとテイカー、そしてマッチャーとそれぞれの人がいます。与える人、受け取る人、帳尻を合わせる人というように特性に分け、人間関係や利害などを考える、きっかけの一つになるのかなと思いました。
人間関係は知り合いが増えるにつれ、難しくなってきました。仲の良い自分の友達があまりよくない関係だった、ということも起きたりします。
ぼくの話をすると、人間関係についてはそこまで悩むことはなかったように思います。嫌だなあ、と思ったことも次の日には忘れてしまうくらいに能天気だったせいか、そこまで病んだと振り返った経験は少ない気がします。
それ以上に周りの人たちが圧倒的に優しかったです。ぼく自身は波を立てないように平穏に過ごしていましたが、周囲に助けられながら今に至るなあと思うばかりです。
クラスは運ゲーなので、仲のいい人もいればそうでない人もいるのは当然で、なんとなく楽しいといいなあ程度に考えていましたが、それなりに周りがいい人たちだったのが救いというか、恵まれていたなと感じます。
しかし、大学に入ると高校以上にいろんな人に出会いました。それは良くも悪くもで、価値観が異なる面白い考えをもった人もいれば、何を考えているかわからない人など様々でした。自分が誰かにとって変な人にみえることもあると気づきました。
多様化した価値観のなかでは、誰もが親切にみえるし、不親切にもみえてきます。そこでギバーの考えに戻りますが、誰を応援するか、一緒になって頑張るかは自分の想いと近しい人をみるといいなと。
もしかしたらあの人はテイカーかもしれないし、自分は搾取される存在なのかもしれない。そういう考えもないことはないですが、それはそれで勉強代として使ったことにすればいいという風に思っています。
いい意味で考えすぎることなく、直感にしたがって応援したり、親しくなったりすることが多いです。これで結構楽しかったりするので、自分の価値観と近い、リスペクトし合える人と関わっていくといいかなって思います。
ギバーとテイカーとマッチャー。他人を分類分けできるほど、できた人間ではないので、概念程度に抑えつつ、楽しんでいけるとちょうどいいなと思って過ごします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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