自分自身は何が嫌いなのか
自分について考えていくシリーズ!そういう機会なのかなと思って、いろいろ書き出してみます。どうかお付き合いください。
学校で友達と話していると、やっぱり楽しいです。
なんで楽しいのか、と考えてみると自分にない発見や気づきを与えてくれるからかなと。それでいて、しっかりと話し合える関係性なのがまた最高です。
タイトルは暗めですが、大事だと思うので書き出してみることに。
ふと友達と話していると、メタ認知していることがあります。
メタ認知−「メタ(高次の)」という言葉が指すように、自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知することである。(Wikipedia)
要するに、自分を一歩引いたところから見ていることで、「このとき自分はなんでこう思ったのだろう」という思考をしています。
・友達と話すことは楽しいのはどうしてなのか。
・この人と話すと楽しいのはなぜだろう。
そんなことを考えていました。
そして僕が出した結論は、「お互いの意見を尊重している」だと思いました。どういうことか。
当たり前のように言われますが、この”尊重”という言葉には「相手の意見を否定しない」という意味があると思います。
よくディベートなどでありがちなのが、相手の意見を論破すること。
もしかしたらその意見は正しいかもしれませんが、尊重はされていないかなと思っています。
これだけの人がいて、考え方が人の数だけあるのに同じ意見になることは、稀ではないでしょうか。
だから、一人一人の持つ意見はある意味正しいと解釈しています。
しかし、相手の意見を否定すること。
僕はあまり好きではありません。自分の意見を通したいばかりに相手の意見を違う、そうじゃないと決めると話している相手は悲しい気分になると思います。
違う意見には違う意見としての根拠や相手ならではの考えがあると思っています。自分と異なるだけで否定してしまうのはもったいない行為だし、視野の狭い考えのように感じます。
おそらく共感してもらえることは嬉しいし、同調したい気持ちもあれば、全員がそうではないかと思います。でもそれでいいはずです。
同じ意見ばかりが飛び交うだけのコミュニティはあまり居心地のいい場所ではありません。多種多様な考えがあってこそ、コミュニティは価値がある場所の気がします。
これは逆に、自分自身への戒めでもあります。他人の意見を否定していないか、貶していないか、踏みにじっていないか。
ふと自分の行動を振り返りながら、自分も相手の意見も掬いながらコミュニケーションをとりたいと思います。
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