森の中、セルフビルダーとの出会い
東京のアパートの小さなベランダで、
こつこつと三角パネルを作って山に運べば、
いつかはドームハウスが出来るんじゃないかと夢見ていました。
週に1枚作れるとすれば、月に4枚。
フラードームに必要な60枚作るには、15ヶ月。
たったの1年ちょっとじゃないか、
などと夢想していました。
ドームハウスとは、2種類の三角形を60枚組み合わせることによって半球の構造体を作り、丸い屋根の家をつくる建築手法です。
バックミンスター・フラーによって発明された、最小限の材料で最大限の空間を作ることが出来る構造手法であり、古くは富士山頂上の気象観測レーダーや、大型の万博パビリオンなど、通常の木造建築では実現不可能な大空間を創り出すことができます。
60年代のアメリカでは、ヒッピーたちが彼らのコミューンの象徴として、また共同生活を送る場として、ドームハウスを好んで建設した歴史があります。
遡って十数年前、
週末毎にキャンプ道具を車に乗せて、
まだ2歳の息子を連れ、東京から甲州街道を西へ西へ。
山梨の北部、八ヶ岳や南アルプス山麓でキャンプをしながら山で過ごす週末が続いていました。
その内、ホントにそんなことが出来るんじゃないかと思うようになってきました。
開発された別荘地は別として、東京の生活に慣れてしまっている者にとって、里山の物価は格安です。
土地が数百万で手に入る。
場合によっては古くても家まで付いてくる。
しかし設計修行中の若造にそんなお金はありません。
まずは田舎に移住し、生活の基盤を作ることからスタートすることにしました。
白州の森の中にテントを張り、そこを拠点に活動をする。
焚き火をしながら、
ランタンの下で子供に晩ご飯を食べさせ、シュラフで寝る。
翌朝テントでスーツに着替えて、飛び込みでもらってきた設計仕事をしに子連れで役場に出向く。
初めはそんなスタートでした。
ある時、森の奥、林道を散歩していると、
小さな手作りのドームハウスがあるのを見つけたのです。
ベニアで作ってあり、その上にブルーシートをかぶせてある。
まさにセルフビルドのドームハウスです。
敷地内には、他に作りかけのログハウスやプレハブ小屋、
仕上げてないベニア張りの小屋。
熊笹が生い茂る斜面に5~6棟、転々と点在しています。
真ん中に焚き火場があり、外部キッチンシンクと水道もある。
まるでキャンプ場のような雰囲気です。
誰もいなさそうなため、そっと敷地内に入り、
ドームハウスに近づいてみました。
小さい。
直径5mくらい?
南面には大きな掃き出し窓もあり、
完成してはいないものの、家として既に使っているようにも見えます。
へー、自作のドームか。
ベニアで作ってるんだなぁ。
軸材はどれくらいの断面なんだろう?
と外からジロジロとのぞき込んでいると、
誰もいないと思いこんでいたドームの中から、人が。
「んー? 何かご用?」
「あ、え、いや、すみません。 誰もいないと思って、、、」
たばこを片手に、頭に銀縁めがねを載せて出てきたのは、中年のおじさんでした。
「ドーム、すごいですね。 手作りなんですね。」
「そー。 見る?」
「え? いーんですか? 中、見せて頂けるんですか?」
「良いよ、自分で作ってんだよ。」
「ですよね、やっぱり。」
「設計はどうされたんですか?」
「あー、計算の仕方が本に載ってんだよ。」
「どうやったかって、んー、忘れちゃったなあ。 基礎はほら、見えるでしょ。 下にドラム缶があるでしょ。 あれにコンクリート流し込んでねー」
「ドラム缶、、、そんなので建つんですか!?」
「あー、まぁ、そうだね。 建つっていうか、載せてるっていうか。」
トラスの骨組みにしている材ですが、、、
屋根の防水は、、、
玄関ドア部分のパネルって、、、
掃き出し窓付けるのに、パネルとの取り合いって、、、
初めての出会いなのに、あれこれと話が弾んだ数時間でした。
共通の話題、共通のドームハウスという趣味。
楽しくて、それから何度も通いました。
そんな縁があり、その後、彼らの土地にテントを張らせてもらえることになったのです。
そんなセルフビルド・ドームとの出会いが、私の人生を変えてくれた最初の一歩だったのでした。