『葬送のフリーレン』放送開始
原作未読、事前情報一切なしでお送りする、『葬送のフリーレン』初回解説。
第1話を観た限りでのネタバレあります。
2023年10月期のアニメが始まりました。今期も凄い数のアニメが放送されていますが、その中でもいち早く話題になっているのが、『葬送のフリーレン』です。
そもそも初回が2時間スペシャル、しかも金曜ロードショー枠で放送って、何ーポッターですか。
初回拡大放送が大々的に実施されるようになったのは、おそらく2011年初頭に放送された『魔法少女まどか☆マギカ』の影響が大きいと思います。
というのも、この『魔法少女まどか☆マギカ』は当初、「ああ、シャフト(アニメーションスタジオ)がこれまでの魔法少女もののフォーマットをハイクオリティで仕上げたのか」くらいに思われていて、第2話までで切っちゃった人が多かったんですよ。
キャラクターも可愛らしいし(『ひだまりスケッチ』の蒼樹うめ!)、オープニングなんて魔法少女ものの典型的なパターンだし、愛くるしい(愛くるしい?)マスコットは出てくるし。
ところが第3話で「マミる」という言葉が生まれるくらい衝撃的な展開が待ち受けていて、さらにオープニングソングもその後の展開を踏まえて聴くと、歌詞が空恐ろしいというものでした。おかげで『血だまりスケッチ』などといわれることも……。
そこまで観るともうこれは「魔法少女もののフォーマットを借りたSAN値ガン削りアニメ」だったことがわかるわけですよ。まさに、SAN値直葬。
それが話題になって終盤ではだいぶ人気が出て、その後の劇場版にもつながっていくわけですが、そのとき布教の合言葉として使われていたのが、「3話まで観て!」だったんですね。3話まで観ればわかるから、わかってしまうから、と……。
ちなみに、ロゴも見比べてみるとおもしろいですよ。
最初はいかにも魔法少女然としていたものが、シリーズが進むにつれてだんだん刺々しくなってきてますから。
いまでは『魔法少女まどか☆マギカ』を女児向けファンシーアニメと思っている人はいません。もしまだ観ていない人は幸せです。あの衝撃をこれから味わえるんですか。
確か、聖書にも書いてありましたよね。「まどマギをまだ観ていない人は幸せである。あの衝撃はあなたたちのものだからである」と。どこの聖書かは知りませんが、たぶんメロンブックスかとらのあなあたりで売ってるんじゃないでしょうか。
そんなわけでそれ以降、初回の時間枠を拡大して視聴者を引き込むということをやるようになったのですが、そろそろ限界じゃないですかね。
『推しの子』も初回は90分放送でしたが、あれは必然性がありました。最初の30分では、「はいはい、転生ものをちょっとひねってバブバブいうんでしょ」くらいで終わっちゃうと思います。それが90分まで行くと、「これは、サイコパス復讐劇……」となって目が離せなくなっていきます。さらに話数が進むと、芸能界の裏側とかネットの炎上騒ぎとか、いろんな要素が加わってよりおもしろくなっていきますが。
その点、『無職転生II』は潔く初回通常放送でした。ただ、初回は第0話という形を取って、原作とは違う構成にしているそうですが。
そういう意味では『葬送のフリーレン』の初回2時間スペシャルというのは、話題作り以外に必然性はない。だって最初の1話だけでキャラクター、世界観、物語の方向性、すべて示されているので、第4話までやる意味はないんですよ。むしろよく出来た第1話だったので、余計にそれを感じるのかも知れません。
2時間で1話としているのでもないですし、単に第4話までを連続して放送しただけでしたしね。
とはいえ、「タイパ、タイパ」とかまびすしく、興味の移ろいやすい世の中ですから、話題作りとそこまで観た視聴者を逃さないためと考えれば、致し方ないのかも知れません。だって、4話までって全体の3分の1ですからね。そこまで観ちゃったらその後も観続けてくれるでしょう。
そんなことやらなくてもなあ、十分力のある作品だと思うんだけどなあ……。
閑話休題。
『葬送のフリーレン』の主人公は魔法使いフリーレン。悠久の寿命を持つエルフの女性です。見た目は少女のようですが、話の端々から察するに、優に千年は生きているご様子。
そんな彼女と勇者ヒンメル、僧侶ハイター、戦士アイゼンの4人は世界征服を目論む魔王を倒すために旅に出………………て帰って来たところから話は始まります。
これ系のファンタジー小説・マンガがおそらく世界でいちばん出版されている日本、いろんなひねりを加えてきますなあ。
もうね、魔王はこの4人によって倒されているんですよ。これはその後のお話。
勇者さまご一行はなんてことのない荷馬車に乗って街に帰って来ます。
このシーンで、すぐに4人の人となりがわかります。
まずフリーレンは本を読んでいるのですが、これで彼女は人に興味がないことがわかります。魔王を倒していよいよ街に帰還するっていうときに、他のメンバーそっちのけで本を読んでいるんですよ。
「乗り物に乗ってりゃそんなこともあるだろう」というのはごもっとも。ヒンメルは立ち寄った村の住民のことを考えていることもあるかも知れませんし、ハイターは酒を飲んでいることも、アイゼンは斧の手入れをしていることもあるかも知れません。
でも、あえてフリーレンが本を読んでいる様子を描いています。しかも、顔を本にうずめるようにして。彼女はまわりの人に興味はなく、本の世界にどっぷりであることがわかります。
おまけに彼女、最初は仰向けに寝てるんですよ。起き上がるシーンがあるのですぐわかりますが、それより前に顔の上半分が映るとき、髪の毛がふくらんでます。寝てるとき特有の状態ですね。
フリーレン以外の3人は、この先どうするかを話し合います。
ヒンメルは仕事を探す、ハイターは酒が飲める仕事がいい、アイゼンはひと言「仕事か」と。
これで、ヒンメルは計画性のあるしっかり者、ハイターはお気楽な酒好き、アイゼンは寡黙な男、ということがきれいに色分けされます。
それに対してフリーレンはたいして興味もなさそうに、「それもそうか」そういってふたたび本に目を落とします。
そう、嫌いとかではなく、興味がないんです。というか、興味が持てないんです。
それは凱旋パレードでも同じです。3人は沿道の人々ににこやかに応じながら道を進みます(アイゼンはひげ面でよくわかりません)が、フリーレンは無表情。
ここまで書いて思い出しましたが、『機動戦艦ナデシコ』のホシノルリに似てるんですね、髪も表情も。
王城に入り、王様からお褒めの言葉をいただきますが、光源の位置おかしいぞ?さっきのパレードは太陽が真上にあったけど(影の位置からわかる)、王城のシーンはまだ9時くらい?日が変わったのかな?まあ、いいや。
夜になると街中で平和を祝ってのお祭りですね。
夜空に花火が打ち上がりますが、どうやら勇者たちの冒険を表す物語になっている様子。「Capter 6 The Last Battle」という文字も花火で打ち上げられているようです。
宴もたけなわ、4人はこの10年の思い出を語り合います。あんなことがあった、こんなことがあった……。ヒンメルはいいます、「君たちと冒険が出来てよかった」
それに対して、「短い間だったけどね」と応えるフリーレン。
「短い?なにをいってるんだ、10年だぞ」
このあたりは、ちょっと気になる。
ハイターはこのセリフをちょっと驚いたような顔をしていうのですが、エルフの長命は知られていることのようなので、いまさら驚くにはあたらないでしょう。
おそらく原作マンガに忠実に丁寧に作られていると思うのですが、ここは絵の方で芝居させてもよかったんじゃないでしょうか。マンガだとセリフに頼ることが多くなると思いますが、せっかくのアニメなので。
少しさみしそうな顔をするヒンメルと、悟ったような穏やかな顔で目を合わせるハイター、とか。
「10年でハイターはすっかりおっさんになってしまった」とヒンメルにいわれ、「失礼ですよ」と返すハイター。さらにフリーレンに「もとからでしょ」といわれ、「失礼ですよ」と天どんするハイター。
二度目の「失礼ですよ」といってフリーレンの方を見るところは、作画枚数上げてますよね?ぬるっと気持ち悪く動きます。冷静に「失礼ですよ」といっているように見えて、実は結構怒ってることが動きでわかります。
こういうアニメならでは、というのをもう少しやっちゃっていいんじゃないでしょうか。
他にも原作に忠実にやろうとするあまり、セリフが説明的すぎたりするところも散見されます。
そんな話をしているところに50年に一度という流星群が現れます。この流星、ちっとも流星に見えません。だがそれがいい!
いいんです、後の演出も考えれば、まるで普通の炎のように描いていていいんです。
フリーレンは「街中だと見えにくい」と、50年後にみんなで見ようと提案します。
50年後の約束をするなんて、とヒンメルは笑います。エルフとのタイムスケールの違いですね。これをさっきのシーンでもやってよかったんじゃないかと思います。
さっきはちょっと哀しかったけど、こっちではもう踏ん切りがついて笑っちゃった、みたいに。
一夜明けて、魔法探究の旅に出るフリーレン。100年くらいは中央諸国を探索するつもりだから、たまには顔を出すよ。そういって旅立ちます。
そのあとは様々な地を1人で旅する彼女の様子が描かれます。おそらく頼まれ仕事をこなすことで日銭を稼いでいるのでしょう。そんなシーンも出てきます。
雪の積もる水辺で釣り糸をたらすシーンもありますが、そこでもフリーレンは本を読んでいます。冒頭での描写と合わせて、本好き(あるいは魔法書らしいので魔法好き、研究熱心)であることがわかります。
彼女の傍らには小さな雪ダルマ。1人なのにこんなもの作っちゃうなんて、フリーレンったらおちゃめさん。釣り糸の先には巨大な黒い影が迫っていますが、果たして釣れたんでしょうか?
そう、1人なんです。50年にわたる旅のあいだ、フリーレンはパーティーを組んだ描写がありません。これ、実は魔王討伐のときの3人が彼女にとって特別な存在であったこと——彼女自身が気付いているかどうかは別として——を表しているんじゃないでしょうか。
ちなみに途中でチラッと出て来るお店、フリーレンが値切っているように見えるお店ですが、この後「暗黒竜の角」を買いに行く店でもあります。ふたたび出てきたときには、店主、ちゃんと年を取ってます。時間経過を表してますね。その間、フリーレンの姿は一切変わりません。むしろ残酷な気がします。
店には「暗黒竜の角」は置いておらず、「昔ヒンメルに預けたな」と取りに行くことにするフリーレン。あれからちょうど50年という約束の時でもありました。
「暗黒竜の角」は魔王城で拾いました。
「なんか、邪悪なオーラみたいの出てるけど、人体に害はないよね?」
「わかんない」
「わかんないかぁ」
という思い出の中のやりとり。
このときのヒンメルの「わかんないかぁ」と同じ言い方で、かつて二日酔いでダメになっちゃったハイターに「ダメかぁ」といっていました。
ヒンメル、そういう人なんです。勇者だ、俺についてこい!というタイプではなく、本当に優しい人。優しいが故に勇者、勇者であるが故に優しい、そんな人となりがわかります。
ハイターが二日酔いのとき、フリーレンも心配そうな顔はしていましたが、ハイターが「ダメ……」といった途端、顎に手をあてて観察するように見てましたからね。研究熱心なんです、きっと。
さらに、さあ、おまたせしました、このあたりからこのアニメの楽しみどころ満載です。
先ほどの、「わかんない」
フリーレンのセリフですが、あまりに自然に聞こえる言い方。もちろん演技の上でそうしているのですが、その演技がきわめて自然に聞こえる。
なんだかんだいってますがこのアニメ、いちばんの見どころ(聴きどころ?)は声優さんたちの演技です。
いや、絵もきれいですよ。フリーレンの目なんて、アップになると上の方に赤い差し色入ってますからね。耳飾りを透過した赤い影が首筋に落ちてたりしますからね。作画、めんどくさいです。
背景だって水彩とパステルの中間くらいの、あまりディテールを描きすぎない、ファンタジーアニメかくあるべしという気持ちよさ。
音楽もEvan Callさん。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の人ですよ、『ジョゼと虎と魚たち』の人ですよ、『鎌倉殿の13人』の人ですよ。
そんなもの、いいに決まってるじゃないですか。
だけどやっぱり、いちばんは声優さんたちの演技を推したい。
特にフリーレン役の種﨑敦美さんは『スパイ・ファミリー』のアーニャ役で一躍有名になりましたが、変幻自在の声と演技をお持ちの方ですね。
今回の役はあまり長ゼリフや声を張るセリフがないぶん、微妙な間や音程、息遣いで表現しなければならず、相当むずかしい役どころのはず。
それでいてテーマが「生と死」という重いもの。それもいまのところドラマティックに死んだりするんじゃなく、誰にでも訪れる寿命、心残り、願いといったものを淡々と描いていくので、「さあ、感動しなさい!」という方向での演技は出来ないと思われる。
それを丁寧にやっていくから、この後、ヒンメルとの別れのシーンが胸に迫るんです。
ヒンメルのもとを訪れると、彼はすっかり「老いぼれ」ていて、イケメン自慢だったのが禿げたジジイになっています。
その彼は50年もの間、フリーレンから預かった「暗黒竜の角」を大事に持っていてくれました。「大切な友人から預かった、大事なものだからね」と。
このあたりから、フリーレンにも少しずつ変化が現れます。
約束の時が来て、50年ぶりに4人が集まり流星群を見に行くことに。
ここでの僧侶ハイターの声にはビックリします。中年だった彼がすっかり老人になり、見事に老人の声になっています。同じ声優さんですよ?
録画してある人はぜひ前半のハイターと聴き比べてみてください。老人特有のかすれ具合というか、ザラついた感じが見事です。
「フリーレンはちっとも変わりませんね」と頭を撫でられ、「頭撫でんな」というフリーレンの声も素晴らしいですよね。
何年か前に僕のポッドキャスト番組『そんない雑貨店』で、「これからは自然な演技、演技に聞こえない演技が流行るんじゃないか」なんて話をしましたが、増えてきましたね。自慢です。
これの一つの例としては、『グリッドマン』が挙げられます。特にボイスドラマは本当に高校生が、あるいは声優さんたちが素で喋っているんじゃないかと思うような演技になっています。ご興味のある方は聴いてみてください。
他にも、楽しいアニメ情報がいっぱい!
……嘘です、いっぱいはありません。だけどガルパンの岩浪美和音響監督や、ポリゴン・ピクチュアズの塩田周三社長、『この世界の片隅に』の片渕須直監督等にゲスト出演していただいています。素人番組でこれやってるところ、たぶんないです。
フリーレンの知っている「流星のよく見える場所」はここから歩いて一週間もかかるところ。年寄りにはきついですが、3人は楽しそうについてきます。その間も、まるで昔のような冒険があったりして。
昔一緒に旅した仲間と、また同じように冒険の旅をする。人生の締めくくりとして、こんな素敵なことはありません。
「僕はこの日を心待ちにしていたんだ。最期にとても楽しい冒険が出来た」とヒンメルは感慨深げに流星群を見上げます。
その目は流星の光を映して、若かった頃のようにキラキラと光をたたえています。
「きれいだ……」
そういって見つめる一つの流星の光が、まるでほどけるように散っていきます。もちろんこれはヒンメルの命が終わっていくことを表していますね。だから現実とは違う、燃えている炎のような流星を描く必要があったのです。
普通の流星描いたら、チュンで終わっちゃいますもん。
原作ではどうなってるんでしょうか?同じように、先端部分を炎みたいに描いているんですかね?
さて、先ほど書いたフリーレンの変化、アニメをご覧になった方はおわかりになったでしょうか?
老ヒンメルに会いにいったところから、フリーレンの顔に笑顔が浮かぶようになったんですよ。
それまではほぼ無表情だったんですが、少しだけ笑みを浮かべるようになりました。一緒に流れ星を見ているところでは、とてもうれしそうにしています。
これがこの後のシーンに効いてくるんですよ。
この後の、ヒンメルの埋葬のシーンにね……。
ヒンメルは仲間と一緒に流れ星を見て、満足したように息を引き取ります。
その葬儀でもフリーレンは無表情。周囲から、「仲間なのに薄情な」と囁かれてしまいます。
そして埋葬の時。
「だって私、この人のことなにも知らないし」
「たった10年、一緒に旅しただけだし」
いいながら、彼女の目から涙がこぼれ落ちます。
「人間の寿命は短いって、わかっていたのに」
フリーレンの脳裏に、一緒に旅した日々がよみがえります。
「なんでもっと、知ろうと思わなかったんだろう」
顔を歪め、嗚咽をもらすフリーレン。
そんな彼女に、両脇に立ったハイターとアイゼンがそっと触れます。
このときの動作、2人が完全にシンクロしています。フリーレンも含め、どれだけ通じ合った仲間であったかがわかりますね。フリーレンも、「なにも知らない」といいながら、その死を惜しみ、もっと知りたかったと思うくらいに彼のことを身近に思っていたのでしょう。
最期に一際大きく土をかける音が入っているのは、「これでお別れ」という印象を付けるためでしょう。そのときの画面は、去っていくヒンメルの背中です。
頭を撫でるハイターに、「頭撫でんなよ」と抗議するフリーレン。どんな言い方をしているかは、番組で確かめてみてください。
そのとき、画面にはフリーレンの顔は映っていません。それどころか、誰ひとり映っていません。種﨑敦美さんの演技力勝負です。圧勝ですが。
このあたりは、この作品の柱となるテーマではないでしょうか。
なにをしても、どんなことをしても、誰かに対しても自分に対しても十分ということはない。だからこそ精一杯生きて、精一杯愛して、精一杯誰かの想いに応えようという。
家に戻ろうと馬車に乗り込むハイター。「それじゃ、お先に」というセリフは、もちろん寿命的な意味も重ね合わせたもの。
そんな別れもあって、フリーレンは「人間を知る」ための旅に出ます。
と、ここでいきなり時間が飛んで、ヒンメルの死から20年後。
森の中に隠棲しているハイターを訪れるフリーレン。正確には墓参りをしようとやって来たら「生きとったんか、ワレェ」状態。
「墓に供える酒を買って来ちゃったんだけど、一杯やる?」
「酒は、もうやめたんです」
いい応答ですよね。気遣いとか、そういうのまったくできない千才児。それに対するハイターの答えで、もう無茶は出来ない身体であることがわかります。
この老いたハイターの声もいいですね。ヒンメルの葬儀で会ったときより、もっと年老いてます。喉の奥に常に痰が絡んでるような、高齢者らしい声。
ハイターはフェルンという戦災孤児を引き取って暮らしています。この子は魔法の才能があり、フリーレンに弟子にとってほしいと頼みます。
フェルンはまだ幼い子ですが、命を助けてもらったハイターに恩を感じ、なんとかしてお返しがしたいと考えています。
だからハイターの身のまわりの世話もするし、ハイターが魔法使いになるように勧めると全身全霊を込めて鍛錬に打ち込みます。
その証拠に、千年を生き、魔王を倒した魔法使いであるフリーレンをして、「この歳でいったいどれだけの研鑽を積んだんだ……」といわしめるほど。
しかしその反面、彼女も人間らしさにかけるところがあります。
ある日、魔法の練習をしているところにフリーレンがやって来ます。会話の途中、「あれはね……」と話し始めたフリーレンの言葉を遮るようにいきなり魔法を放つフェルン。
ハイターから受けた恩に応えるため、魔法を練習する。それ以外のことは見えなくなっているのでしょう。
「魔法は好き?」と問われると、「ほどほどでございます」と答えます。にもかかわらず、必死に魔法の練習をする。
それくらい、彼女にとってはハイターの存在がすべてであり、絶対なのです。当然、広い世界など知るはずもありません。
おそらく二人は旅をして、お互いを知って、人間を知って、失うことの悲しさを知って、出会うことの楽しさを知って、人と交わることのうれしさを知っていくのでしょう。
だからオープニングで画面が左右に割れていくシーン、最後にフリーレンが現れますが、彼女は一緒に旅した仲間たちの方を見ていますね。
これから一緒に旅をするフェルンと赤毛の男の子(誰?斧背負ってるからアイゼンの関係者?後継者?)には背を向けています。
いまはフリーレンが過去を見ているという示唆ではないでしょうか。だってフェルンはこれから旅をする未来ですから。
物語の終盤、オープニングに変化が現れて、フリーレンがフェルンたちの方を、つまりは未来を見てくれるといいなあ、なんてことを夢想しています。
【追記】
金曜ロードショー枠での特別エンディング、最後の方でフリーレンと並んで立っている少女は師匠であるフランメ?
だとするとますます落涙するような妄想がはかどってしまうのですが……。