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1 十国峠から見た富士だけは 「じゃあ次、瀬下」 別に誰でもいいような調子で、国語の老教師が指名した。その証拠に、教師の目は生徒の方など見ていない。彼の目がなぞっているのは教卓の上に置かれた出席簿だけだ。 高校の教師を何十年も続けていればそうなるのかも知れない。よほど荒れた学校にでも赴任しない限り、教師の目から見れば近頃はどの生徒もおとなしく、厄介ごとを嫌い、みんな等しく同じに見える。だからよほど偏らない限り、どの生徒にあてようとたいした違いはないはずだった。 ——だ
一 いまからする話が、本当にあったことなのかどうか、僕には確信がない。 それどころか、僕が自分を僕と呼んでいいものかどうか、それすらわからない。なぜなら僕には乳房があり、男性器のあるべきところには女性器があり、月のものもちゃんとある。つまり、僕の身体は間違いなく女性のものだ。 性同一性障害だとみなすのは簡単だろうが、それでは僕の持っている記憶と辻褄が合わない。僕はこうなる前、つまり女性の身体になる前には間違いなく男だったし、男として生活していた。もっとも、その記憶の方
人の手で、人に近く、それでも人とは違う知性を生み出したい。 それは古くからの人類の願望のようで、古代呪術の時代、泥や藁でできた人形に念を込めて動かそうとしたことに、その起源を求められるかも知れません。 それは神のまねごとをしようとした、というよりも、その願望が先にあってそれが神話に反映されたとみるべきでしょう。 フランケンシュタイン博士の健闘もむなしく、そしてもちろん古代の呪術師たちの奮闘もむなしく、どうやら生物学的手法でも祈祷的手法でも知性の創造はむずかしいと明ら
一 人類の随伴者 「他にご用件はございませんか、奥さま」 ティーカップをベッドトレイに置いて、端整な顔立ちの青年はいった。年齢は二十代後半くらいだろうか。シミひとつ無い真っ白なスラックスにこれまた白いサマーセーターを着て、髪は清潔感あふれるクルーカットに刈り上げている。 「いいえ、けっこうよ。ありがとう」 介護用ベッドで上半身を起こしたまま、奥さまと呼ばれた女性は会釈してこたえた。 「ただ奥さまはやめてちょうだい。なんだか自分が年寄りになったような気がするわ」 女性
新米弁護士の「私」のもとにやって来たのは、おばあさんと小さな男の子。 「私」が本当にしたかったことって、なんだったっけ? 「私」はなんのために弁護士になったんだっけ?
生まれつき全盲のひかりは、カウンセラーの青年に出会う。彼のすすめにしたがい、人工視覚獲得を決意する彼女だったが……。
クーリエ はろう、もしもし。誰か聞いてる? この電波を拾ってるってことは、あなたは相当運がいい。 あなたが聞いてるのは、宇宙船ジャガンナータ号の航海日誌。 正式な航海日誌なんていうのは簡潔にして無味乾燥なものだから、こっちはあたしが個人的につけてる日誌。 この船に乗っていて、どんなことが起こったか、どんなことに見舞われたのかを、あたしが勝手にしゃべってる。 それを、指向性の強いビームに乗っけて適当な方向にバースト送信中。 適当なったって、誰彼ともなく聞かれち
1 ヴァルハラ 「それ絶対ネカマだって」 クラスメイトの恭介は楽しそうにそうにいった。 「それにしてもおまえ、ゴールデンウィーク中なにやってたの?」 なにをやってたもなにも、遊ぼうっていうから家族旅行の予定を蹴って空けといたのに、「彼女とデートするから」っていきなりキャンセルしてきたのはおまえじゃないか。 おかげで僕は、中学校生活最後のゴールデンウィークを毎日ネットゲーム三昧で過ごすことになった。 四年前に発売になった脳波によるゲームコントロールデバイス、通称ニュー
一 私がやっている顧問弁護士という仕事は、知られているようで知られていない。 ハリウッド映画なんかでは、企業のピンチに颯爽と出て来て一発逆転で裁判に勝利する。みんなが持ってるイメージはだいたいそんな感じだと思う。 それで当たらずしも遠からずなんだけど、実際は映画のように会社が乗っ取られるかどうか、なんて事件は滅多に起きない。起きるにしても、会社の乗っ取りっていうのはもっと粛々と行われるものであって、それこそ法律に則って行われるから、あまり法廷闘争って感じにはならない。
一 私が彼と出会ったのは、私がバナナの皮で滑って転んで足を折ったことがきっかけだ。 そんなことがあるわけがない、バナナの皮で滑って転ぶなんていうのはコントの世界だけのものだと思うなら、ぜひ自分で試してみて欲しい。 バナナの皮にはたくさんの脂分が含まれていて、雨でふやけていたりした日にはおそろしい凶器になる。 特に、視覚障害を持つ人間が相手となれば。 私は生まれつき全盲だ。 そういうとほとんどの人は、「まあ、かわいそうに」なんていう目で見る。実際に見ているかどうか
一 その社内コンペでも、僕の案が採用されることはなかった。 車のデザイナーなどというと格好いいが、僕がやっているのは内装のデザイン。外側の造形を担当することはない。それでもデザイナーという響きは合コンに女の子を集めるにはそれなりに力を発揮するらしく、大学時代から付き合いのある友人たちからは、わりと頻繁に声がかかる。ただしそこでの僕の肩書きは、「インテリア・デザイナー」ということになっている。嘘ではないにしろ、多少誤解を招く表現であることはわかっている。だけど友人たちから