短編小説「風の色」~#シロクマ文芸部 お題「風の色」
風の色が見えなくなったのはいつからだろう。幼い頃は見えていた。母の暖かい腕の中で傾いた窓の外へ首を回し、真下を流れるドブ川の放つ悪臭に鼻をつまみながら、舗装されたばかりの側道を見やると忙しく行き交う人たちの隙間を茶褐色の風が吹き抜けていくのが見えた。空は限りなく黒に近い灰色の霞がかかっていて、快晴にもかかわらず薄日が差し込むだけで街全体が陰っていた。母が咳をするたびに茶褐色の風が揺れていた。
小学校に上がった頃も風の色は見えていた。校庭の隅にある鉄棒で逆上がりの練習をしながら、中央の陸上トラックに目を向けて君を探しても、灰色で砂混じりの風が邪魔をして、なかなか見つからなかった。歓声とともに灰色の風の中から抜け出てくる君を見つけたときはうれしくて仕方がなかったが、走り終えた君は踵を返すとあっという間に灰色の風と砂塵の中に隠れてしまった。
中学生になり弁論大会に出た頃も風の色は見えていた。ドブ川は相変わらずドブ川のままで、舗装路を吹き抜ける風も多少薄れたとはいえ茶褐色のままだった。近くの海は指を入れたなら数秒で腐り落ちそうな汚物にまみれたタール状の湿地帯と化しており、砂浜は腐った小型魚介類の山で、まるで廃棄物処理場のような沿岸の上を黒い風が吹き抜けていた。弁論大会で取り上げたテーマはもちろん「風」だった。風について熱弁したが大人は見向きもしなかった。君だけが熱心に聞いてくれた。
高校生になった頃から、風の色が見えにくくなった気がする。おそらく風の色は変わらなかったはずだ。代わったのは自分で、次第に風の色から目を背けるようになっていたのだろう。確かにドブ川は以前ほど悪臭を放たなくなり、周囲の淀んだ空気も多少は晴れてきた気がする。常時空を覆っていた霧も散り散りになっていたし、側道を流れる風の色もかすかに濁ってはいるが、行き交う人影を遮るほど濃くはなかった。
そうして風の色がいつのまにか見えなくなっていった。
見えなくなって良かった気もするし、母の腕の中から見た、あのドブ川を流れる茶褐色の風が愛おしい気もする。何よりも風とともに君も見えなくなってしまったのが残念だ。
ただ風の代わりに見えるようになったものがある。
風の色よりももっと恐ろしいものだ。
なんだと思う?
人の色だよ。
(了)
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