吉田拓郎が、邦楽界における様々な意味でのパイオニアであるように、E・A・ポオは、幻想怪奇、ミステリ、短編小説のパイオニアで、読んだことはなくても名前を知らない人は数少ないのではないでしょうか。「アッシャー家」や「黒猫」などの怪奇幻想もの、「モルグ街」や「盗まれた手紙」のような探偵推理もの、など一寸の隙もなく完璧に仕上げられた彼の短編小説は、ひとつひとつが美術品のように繊細かつ大胆に仕上げられており、後生の短編作家に多大な影響を与えています。
ただ、ポオは小説家であると同時に、あるいはそれ以上に詩人です。彼は生前多数の作品を出したにも関わらず暮らしに恵まれることなく貧困のうちに亡くなりますが、彼の耽美的で幻想的で物語のような詩は米国ではあまり評価されなかったものの、フランス文学で高い評価を受け、ボードレールに受け継がれます。わたしはボードレールの詩が好きですが、同じ理由でポオの詩も好きです。大学の英文学の卒論のテーマはポオを予定していたくらいです。ただ、彼の原文は極めて難解です。古い英語ということもありますが、小説にしても詩にしてもわたしの英語力では原文を追うのは不可能と判断して、キーツの詩に変えた経緯があります。
そんなポオの詩に「アナベル・リー」という有名な詩があります。これは二四歳という若さで亡くなった彼の妻のことをうたった詩だと思われますが、比較的解釈も難しくなく美しい詩です。同時にとても寂しい詩です。
詩は、和訳を読むのもいいのですが(というより、そうでないと読めないのですが)、韻を踏む感覚(歌うような感覚と言いますか、リズムですね)がとても大事なので、なるべくなら原文を読みたいところです。
最後の部分だけ和訳を引用します。
ポオの妻ヴァージニアは一三歳でポオと結婚しました。あまりに若すぎるのですが、二人は深く愛し合っていたといいます。また、若すぎる故か、結婚しても男女の関係は持たなかったとも言われています。そんなヴァージニアは、貧困の中で結核にかかり、二十四歳で亡くなります。ポオの生活は荒れに荒れたといいますし、二年後にポオも亡くなります。この詩はポオが最後に書いた作品です。
今研究している芥川とか、芥川を尊敬して才能を開花させる太宰とか、自害という最期を遂げてはいるものの、生前に作家として認められ、食べるには困らない生活ができただけ幸せなように思えます。ポオは、短編にしても詩にしても、いまだに色あせない名作をたくさん残してきたのに、生前は報われず若い妻が結核で早逝したのも貧困のせいでしょう。そう考えると、この詩の美しさと悲しさに胸が震える思いです。
ちなみに、萩尾望都の「ポーの一族」に出てくるエドガーの妹メリーベルの名前は、この詩から来ているとばかり思い込んでいましたが、どうやら違うようですね。(青のパンドラまで追いつきましたよ!余談ですが笑)また、ポオは大の猫好きで、飼い猫の名前はカタリーナ。(これも余談笑)
追記:結核で貧困の中早逝したヴァージニアは、極寒の中、亡くなるときにポオのコートを羽織り、愛猫カタリーナで暖をとっていたと聞きます。悲しすぎます。。
今日はポオの話でした。
それではよい一週間をお過ごしください。