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植物と植物がつながりあっているならば、どんな経営ができるだろう。

先日、事務所に来たクライアントさんが、
席に着いてすぐ
「きれいな緑ですね!」といいました。

「昔は、森の植物がいいと思ってました。
街路樹とか、人が調整をした植物と距離があったんです。

でもあるとき、道を歩いていて、『街路樹も土にうわっているんだ。
大きな存在と繋がっているんだ』と思ってから、見方が変わりました。
いまは、どの植物も好きです」

とても素敵な、見方の変化だと思いませんか?

以前、黒川温泉の本を読んだ時に、「自然の雑木林には、特別な癒しがある」と書かれていました。(黒川温泉は、キレイな庭ではなくて、自然な雑木林を再現しようとつくられたそうです。今は人気温泉地です)

誰かがキレイに植樹した庭ではなくて、人の手の入っていない森の中にいると、体が開放されていくんだそうです。
確かに、子供の頃社会の教科書で目にしたプランテーション(木々が等間隔に植えられている)をみても、癒しは感じられません。
山に登って降りる頃には、意識がすっきりしているのがわかります。

だから、クライアントさんがいったように、森の樹木や花や葉の癒しは、特別なものがあるのだと思います。
けれど、街路樹を見て、見えない土の中や背景を感じる姿勢を、僕はとても素敵だと思いました。

あわせて、本当かどうかはわからないけれど、
僕がいいなと思っている「植物」の話が、もうひとつあります。

それは、僕のオフィスの観葉植物のように、鉢に植えられた花や樹々も、ちゃんと世界中の植物と繋がっているという話です。

今この文章を書いていて、後ろに気配を感じる観葉植物が、
道を隔てた街路樹とも繋がっていて、
そのつながりの連鎖がどこまでもつづいていると想像すると、
本当にそのつながりを感じられそうな気がします。そして、気持ちがいい。

話を展開したついでにもう一つ転がすと、
思想家の吉本隆明さんが、
「人の中には、人の部分も、動物の部分も、植物の部分もある」とお話しされていました。(血管は確かに、樹の中にある道管と師管のようです)

僕らの中に「植物」があるとするならば、いま目の前にはいない人々や、人以外の動植物とも、今この瞬間もつながり合っていると言えるのかもしれません。

そういうのを前提にすると、経営はどうかわるだろう。
誰かの苦しみの上に成り立つビジネスを作ってしまえば、僕らは、いつでもそれとは無関係ではいられないということなのかもしれません。
では、人は何によろこぶのか。何が本当のサステイナブルなのか。
人間や世界というものへ理解を深めたビジネスが、必要なのだと思います。

(そんな内容の経営について、いま、まとめてます。)

吉井りょうすけ

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