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目玉焼きには醤油なのか?
結論から書くと、目玉焼きには醤油でも、塩コショウでも、ソースでもその他なんだって良い。
しかし、「目玉焼きには醤油でなければならない」という考えを持った人が今の社会には多いような気がしてならない。私もその内の一人である。
学校や職場、家庭内など人間関係の問題が多いと思うが、その原因の一つにこの目玉焼き=醤油という、これにはこれでなければならないというような思考が影響しているのではないかと考える。
現在、私は就労支援事業所を利用しているが、実際にこの思考がトラブルになったり、ストレスの原因になっているように見えることがある。
例えばの話であるが、Aさんと違うやり方でBさんが作業して手こずっており、それを見たAさんは「違います!これはこうです!!」と語気を強めて伝える。それを聞いたBさんは反発するか、萎縮するかどちらかだと思う。
Aさんが悪いということを言いたいのではなく、この状況では、AさんにとってもBさんにとってもストレスになってしまう。そして、これを繰り返すことでAさんはBさんがいるだけでイライラし、BさんはAさんがいるだけで緊張してしまうだろう。
ぶつかることが悪いと言いたい訳ではない。議論をすることで良い案が生まれることがある。
しかし、一方的に自分の価値観を押しつけることは、相手が受け入れる体勢にはなりにくい。
どうしてもAさんの柔軟性のない思考が悪者にされてしまうと思うが、もしかしたら、「これはこう」という考え方は一つの安心できる代償的な防御策なのかもしれない。
これは私のことなのだが、今年から新しい仕事をしているが、初めてなことや慣れていない仕事には「これはこう」が通用せず、常に不安がつきまとっている。つまり、目玉焼きに何をつけたらいいかがわからない状態である。
不安だからこそ紐付けすることによって、安心材料としているのかもしれない。
仮説でしかないが、このことに対して周りの人は何ができるのであろうか。なかなか難しい問題である。
現状の問題点としては、大人や支援者は少しでもはみ出したことをすると、「それは違います!こうしなさい!」と自分の価値観を押しつけているように感じる。
目玉焼きにマヨネーズをつけたって別にいいと思う。意外と美味しいかもしれないし、失敗から学ぶこともある。誰かを傷つけるわけでも、自分が危険な目に遭うわけでもないのだ。
どうしても立場が上の人は下の立場の人を見下してしまう。
大人と子ども、支援者と利用者の関係が上下関係になってしまいやすいことや、どんな関係性がいいのかが療育や支援の議論の一つになってもいいのかもしれない。
並列的な友達のような関係がいいのかは正直わからないが、個人の気質的な問題が環境によって助長されてしまいかねない上下の関係は良くないように思える。
大人達が目玉焼きにマヨネーズをつけることから始めてみてほしい。