発達障害の傾向があるってなんなんだろうか
「診断はつかないが、発達障害の傾向はある」
先日、発達外来を受診し、ドクターに言われた言葉である。
確かに発達障害の傾向があるとわかれば、自己認識が深まり、対策をとることで生きづらさを感じることなく生活できることもあるのかもしれない。私自身も数年前に自分の生きづらさの原因が発達障害脳だと思ったとき、救われた気持ちになったことも事実である。
しかし、私の場合は、個人による対策には限界があった。対策方法も過度な努力によるものも少なからずあった。
私は社会適応するための対策を「個人」と「環境」に分けて考えている。環境には「自分以外の人」も入ると思っている。
発達障害の診断がつくのと、発達障害の傾向があるでは、この「環境」による対策が大きく変わってくると思う。私が経験したこととしては、会社で発達障害傾向があることと苦手なことを伝えたが、その反応は「みんなそうだから」「トレーニングが必要だね」「わかった(実際に働くと何も配慮なし)」だった。「個人」でどうにかしないといけない状況となった。
結局のところ、診断されない場合は他者の理解が得られにくく、対策が上手くいかなければ、自分の努力と工夫には限界があるという結論に至っていた。
そのため、「発達障害傾向あり」とのみ伝えられたときには、「今までと何も変わらない」と頭が真っ白になった。
発達障害の特性は正直ほとんど誰にでも当てはまる。その中の何割かの人が生きづらさを感じ、診断が付く人もいる。大事なことは診断が付くかどうかということよりも、どうすれば生きづらさがなくなるのかだと思う。
※初診以降の診察を経て「自閉スペクトラム症」の診断をつけてもらう方向になった。診断がつくことで生きづらさが変わるわけではないが、ようやく一歩進めた気がする。