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映画「土を喰らう十二ヶ月」

期待値を上げすぎた、のかなぁ、、、。
(以下ネタバレがあります。)

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まずシナリオがよくわからなかったです。
なんでこう人物達の行動やセリフが唐突なのでしょう。
特に肝心なツトムや真知子は一貫性がなく、裏側のエピソード(過去、現在がどんな人生か)も見えないから、キャラクターが不安定にみえます。

そもそも・・・いや・・・

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突然ですが、映画っていうジャンルも大変だよなぁと改めて思い直しました。

まず数年前からお金とスタッフを集めて、今回の映画なら最低でも季節が巡る一年以上に渡って、カメラを回さないといけない。
かかった費用をチケット代で回収できればいいけど、映画館もお商売だから、初動3日の動員数で公開日程の長短が決まる。
パンフや本、その他の関連グッズや、DVDによほどお客様を誘導しないと回収が難しい。

でも見る方は2時間かそこらで、良かった、悪かった、と、、、。
(ちなみにジュリーが、公開後の舞台挨拶に参加しないのは、何か事情があるんでしょうか?元々の契約とか、監督と揉めた、とかの。主役なのにプロモーションにほぼノータッチです。)

焼き物も似たような所があります。
いや、かかわる人数が少ないだけ、映画よりその負荷は、はるかに低いと言えるでしょう。

それでも陰の仕事が多くて、例えば焼けても仕上げに数日かかり、梱包するのも運ぶのも、破損がないよう体力、気力を使います。
しかしお客様にはそんな事関係ない。
良いか、悪いか、それが全てだし、無論それで良いと思います。

だから良い点と、こんな映像を見たかったなぁという妄想で、いままでの期待を鎮めようと思い直しました。
もちろん、いつか上演されるであろう、中江監督の次回作も必ずスクリーンで見ます。

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というわけで、印象に残ったシーンを二つほど。

①、義母の葬式。

主人公ツトムは、読経に精進落としにと大活躍。
慌てて作っているのに、胡麻豆腐、茄子の味噌炒め、茗荷ご飯等々全て美味しそう。料理を作る音も湯気もご馳走ですね。

(茗荷を食べるとアホになるという逸話、令和だとある程度説明しないと伝わらないんじゃないでしょうか。)

ただ葬式特有の慌ただしさにまきこまれて、せっかくの料理の印象が薄くなっています。

大きすぎる遺影(しかも気難しい義母の性格を的確に表した表情の遺影で思わず笑ってしまう。普通、その写真選びます?)や、大袈裟な祭壇、数珠回しなど、映像的に目に留まるものが多くて、料理が、、、。

義母に味噌作りを習った近所の主婦達(田舎の自宅であげる葬式だと、義母の弟子である、この人たちも葬式を手伝ってくれるんじゃないかなぁ。)の騒がしさ。

義弟夫婦のいっそ、清々しいまでのダメっぷり。
(話しぶりから実は孤独死した義母の第一発見者でしょうが、面倒が嫌でツトムに押し付ける。さらに葬式や遺骨の行方も。)

それらがノイズとしてどうしても頭に残ってしまいます。
(ふと伊丹十三の映画を思い出しました。コミカルでユーモラスなシーンと間合い、よく似てます。)

水上勉の料理本、だいたい読んでいると思いますが、禅寺では胡麻豆腐や胡桃豆腐は手間暇かけて作る、特別な一品だそうです。
(たぶん胡麻や胡桃の油分が、食事の満足度を上げるのだと思います。)

下拵えから作る過程を長く見せてくれるのは、きっと原作者への敬意が込められているのでしょう。

それなら、壇ふみのシークエンスに出して欲しかった。

壇ふみ演じる、少年時代にお世話になった禅寺の娘さん(住職であった父親亡き後、母ともども寺を追い出されて苦労した)が何十年ぶりに訪ねてこられます。その時の献立は、梅ジュース一杯じゃなくて、胡麻豆腐からはじまるフルコースの精進料理でゆっくりもてなす。かつて住職から教わった懐かしい料理をはさみながら、昔話に花が咲かせつつ、父親死後の檀の人生も垣間見たかった。大変な半生だったという設定ですが、それを感じさせない壇の品の良い佇まいが、映画の清涼剤です。

②、真知子(松たか子)がツトムからの同居をオッケーして返事を待つ顔つきも良いです。

あれ?すぐに同居を喜ぶと思ったのに、ツトムの反応がおかしい、、、?真知子からすれば、死別した奥さんへの気持ちを乗り越え、たとえ東京で積み上げたのキャリアを捨ててでも、この男と添い遂いとげる覚悟を決めたはずだったのに、、、ツトムは「僕は一人でいたいみたいだ。」???自分から同居を誘っといて、しかも真知子のおかげで救急車に乗れて助かったのに、、、そんな勝手な人だっけ?

(前妻の遺骨と暮らす男との同居は、女性なら嫌でしょう。)

その微妙な気持ちの揺らぎを、松の顔が映画内で唯一アップになって表します。とまどいや、失望が入り混じった、なんともいえない、良い表情です。
男女はそう簡単には合意に達しないものですね。

(それにしても真知子の赤のセットアップの衣装はいかにも不自然でした。別れの演出とはいえ、上下赤のスーツを持ってる東京の女性編集者、どのくらいいるんでしょう?それまでの控えめな衣装をふり返るに違和感しか残らなかった。しかもしばらく連絡のつかなかったツトムに、わざわざ違う男との結婚を伝えにくるのも。。。報告だけなら年賀状一枚でいいと思いますが。。。ツトムも自ら身を引いたなら、最後に訪ねてくる真知子を嬉しそうにナメコ狩りに誘うのもよく分からない。)

また、これはシナリオとは無関係でしょうが、真知子がツトムに向かって「良い男(おとこ)ね。」と呟くシーン。

茶道だと床間や床柱の前に座った男性越しで(茶室の上から見たら床間-男性-女性)に「良いお床(おとこ)ですね。」と女性が褒めて、勘違いした男性が照れ笑う、のは茶室あるあるですが、それは関係ないのかしら。

さらなる妄想。

料理は揚げたり、蒸したりといった一皿もみたかった。

とれたての山菜は天ぷらでしょう。
慌てて料理を運ぶのは筍の煮物ではなく、揚げ物のはず。
揚げたての天ぷらにパラリと粗塩だけかけて、あちって言いながらガブっと噛み付いたら、湯気がモワッと上がる所をハフハフする。あ、上から柑橘も絞ってほしい。

あるいは自然薯を汗だくになりながら掘って、二人でゴリゴリ擦り、昆布出汁でのばして、炊き立てのおこげつき銀シャリにぶっかけてズルズル食べる。すり鉢ごとデンと食卓に置いて、お玉ですくってかっくらうのです。
混ぜる調味料は醤油ではなく、義母の味噌。
おかずは大きめに切って食べ応えのある、ゴロゴロ根菜の味噌汁と梅干しか、山椒の佃煮(義母に意地悪されて食べさせてもらえなかったから、自分で作ったった!)。

マツタケなんか、山盛り採れちゃうから、贅沢な土瓶蒸しかキノコ汁。いや、燗酒に焼きたてのマツタケを浮かべて、骨酒ならぬ茸酒で薫りを燻らせると。

高野豆腐や油揚げ、こんにゃくも組み合わせて欲しかったなぁ。。。
あと、こねて作る粉物なんかも。。。
酢の物はあったっけ?

器やお盆も、安物ではないけど(中江監督のもう一つのご職業は、沖縄の民芸品を商うプロデューサーだから、専門家だと思います。)もう少し見せてくれると嬉しかった。

はじめに小芋を食べるシーンでの酒器、馬上杯で、はるばる来てくれた真知子へのもてなしの気持ちが伝わります。井戸か粉引っぽい徳利もよく見えなかったですが、成りが良かった。
どちらも洒落た合わせ方でニヤリとしました。
(福森雅武さん作かな。)

その後に出てくる抹茶碗ですが(土井さんがチョイスしたらしいです)、派手な赤絵ではなく渋い南蛮や楽や高麗とかならいいのに。いや、あえて天目や青磁といったいった華やかな唐物でも、あの家の雰囲気なら逆に侘びて、つきづきしいと思います。

(田舎に逼塞する文人が使う茶碗のイメージです。値の張るものをさらりと普段遣いにして欲しい。)

大病後の変化も、不穏な亀のシーンは、いっそのこと「ホテルハイビスカス」のように、土着の神様が出てきて、超自然的にツトムを助け、指南するのかも、と一瞬思いました。
信州なら地元の道祖神、たくさんいらっしゃるでしょう。

それにしても『土楽さんの日日』のような、中江監督の冴えたハサミの入れ方、見たかった。

巡る季節の変わり目なんて編集の腕の見せ所で、例えば固定したアングルで水中のオタマジャクシが蛙に変わるとか、同じ植物の新芽や紅葉だけでも伝わるのになぁ。。。二十四節気ごとの区分は細かくて、その違いがいまいち分かりにくかったです。2時間もない映画だから、春夏秋冬の四場面でよかったのでは?

それから・・・・・・

いやまぁ、あれこれ想像するだけで楽しいから、これはこれで良しかもしれませんね。

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結局、帰宅して本棚の手前にあった、「精進百撰(水上勉)」を久しぶりに読み直しました。

素朴な盛り付けの写真だらけですが、美味そうでした。


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