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『墨の薫り』 (ろくろのまわり 二回転目)

「毎月、同じ文字を3日間書き続けて、1番良いものを次の月の手本とします(※1)。でもね、自分でも良く書けたな、というのは、不思議と1日というか、半日しか無いのよ。

しかも書き慣れた3日目とは限らない。

初日を超えられなかったり、2日目がピークだったり。50年以上、繰り返しやってても変わらないものね。。。」

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もう、5年になる。

いつも通り自宅から5分ほど自転車で坂をくだれば、築70年を過ぎた、あの畳屋の古い格子戸が開いている気がする。

年毎に急になるような、勾配の階段を上がると、未だに人懐っこい笑顔で、部屋の中心に座っておられるはずだ。

2階の窓から江ノ電のホームを見下ろすと、電車を待つ観光客の装いは季節ごとに変わっていく。
定刻に通り過ぎる緑色の車両と、毎日17時の町内放送に合わせて吠える、近所の犬が時計代わりだ。
そんな時間と空間が、今でも望めば得られるような幻想が心から消えない。

かつての教場

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もう5年になる。

中年になると、振り返る5年と実際の5ヶ月の区別がなんだかあいまいだ。

「そんな感じで70歳を過ぎるよ。」

と、いささか自嘲気味に言い放った母の一言が、年毎に不気味な説得力と現実味を帯びて迫ってくる年頃だ。

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もう、5年になる。
書の師匠を亡くして。

90歳をとうに越えられ、老衰での御逝去は、ごく控えめに言っても大往生といっていいと思う。

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「あら、ボタンを押し間違えたわ、ごめんなさい。お元気?」
お元気もなにも、また週末になれば教室に伺うのだけど。
ただ受話器を持ちながら、冗談を言われる時の、ニヤリと童子のように笑うお顔が目に浮かぶ。

葬式の際、弟子筋にその留守録をお聞かせすると、全員苦笑される。皆同じ経験をされていたそうだ。
ふと人寂しくなられた時に、ボタンを押し"間違え”るらしい。

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師匠が筆を持たれたのは人より遅く、30歳を過ぎてのことだった。
昼は子育てと家事を並行して、夜は勉強会で研鑽を積まれ、30代後半で街場に小さな書道教室を開く。

以降半世紀以上に渡り、10畳ほどの教室に10卓の座卓を並べ、書の指導にあたられた。 

大体、大人は家から書いてきたものを、子供はその場で書いたものに、朱筆を入れてもらえるというシステムだった。

下は未就学児から、上は80代まで。
中には親子3代に渡って、教えを受けたご家庭もあるらしい。常に老若男女が出入りし、賑やかな教場だった。

一心地つくと一斉にお茶と、"おさんじ"が振る舞われる。
(関東の一部地域では昔から、"おやつ"ではなく、"お三時"という。)

姉弟子のどなたかがいつも買い置いて下さる駄菓子は、やはり昭和なハッピーターンやビスコやアポロ。
これも60年に及ぶ習慣だったようだ。

教場で頂くお茶は、静岡の専門店からまとめて取り寄せている上質なもので、恐らく家庭では、急須でお茶を入れる習慣のない子供達のためだったようだが、その御心遣いが伝わっていたのだと思いたい。

たまに出しゃばって、湯冷しを使い、丁寧に緑茶を入れて差し上げると、世間話の傍に、ふと師匠の数奇な前半生の、問わず語りが始まり出す時もある。

子供の頃住んでいた、兵庫では大雪のせいで2階から出入りしたこと。

その家で異父兄弟と暮らしていたこと。

異父は腕のいい宮大工で、茶室を作る仕事に合わせて、全国各地を転々としていたこと。

職業柄、着物や謡の稽古に厳しい母親とは、折り合いが悪く、特に朝、家中の掃除が終わらないと学校に行ってはいけないのが嫌だったこと。

中学生の頃は隣町の謡の師匠の家に、住み込みの一番弟子と3人で暮らして楽しかったこと。 

男が戦争にとられたせいで、今でいう高校生の時に代用教員として、数歳下の中学生を教えていた事。。。

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「今週末も教室あるけど、いらっしゃる?」

初めて稽古に通って、数日経った時の電話だ。
小学校の授業以来、久しぶりに書いた習字が、自分でも絶望的に下手で、また教場に行くのが少し億劫になっていた。

きっと長年の御経験から、1回だけ稽古に来てもう来なくなる人特有の顔付きをしていたのだと思う。心の迷いを自分でもそれと気付く前に、背中を押されてしまった。

今後この方の教えは、一度素直に受け入れようと心に決めた。

かつての教場を踏切側から見る。

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通い続けると、様々な事がわかってくる。

師匠の気性はいつも穏やかでいらして、また指導方法も揺るぎないものだった。 

たとえ服を汚しても、擦るのに飽きても、自分で使う墨は自分で擦るように、と言われていた。どんなに小さな子供でも、決して墨汁の使用を許可されない。

その意味は、墨に慣れるとわかってくる。
筆の毛質や半紙の紙質によって、墨の濃度を微妙に変えないと、思い通りに筆が動かないからだ。

例えば崩して書く草書(※2)は、さらりと薄い墨でもいいが、ゆっくり筆を動かす楷書(※3)は、ねっとり濃いめが良い。

筆先にどれだけ墨を含ませ、紙にどれだけ吸わせるか。

涙一粒にも満たない、呆れるほど微量な濃度だが、自分で墨をすり続けていくと不思議とわかってくる。
そこまで行けば、たとえどんな紙や筆を使っても、文字を起こす事ができるのだ。

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亡くなる1ヶ月前だったか、年明けに検査入院された病室で、「無事退院されたらお祝いしましょう、また料理を作るから、拙宅にいらして下さい。」といつも通りの会話をしていた。
師匠も変わらず快活で、「後二週間で退院するけど、この病室から花火が見れるらしいの、もし夏までいれたら、特別室なのに残念ね。」と朗らかに笑われる。

ベットの上で、届いたばかりの書道雑誌に掲載された御作を広げながら、ポツリと「陶芸も書も茶の湯も、ともかく続けなさい。長い人生、休む時があってもいい。でも辞めたらそこで終わり。何も残らない。続けないと楽しいことも起きないわ・・・。」

今でもその一言が、御声そのままに、くっきりと胸にこだまする。

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それから一ヶ月が経ち、2月の上野の東博で祭姪文稿(さいてつぶんこう※4)を2時間も並んで5秒しか見られず、しかも実物はそのエピソードほど心が動かされなかったという話を土産に、再び御見舞いに伺った。

その時、師匠の体調は急変され、呼吸器と全身にチューブを差し込まないと生きられない状態だったなんて、全く想像だにせずに。

たった1ヶ月で、驚くほど小さく縮んだお体を見て、狼狽えるばかりの弟子は、場違いな立場にいたたまれず、数分で辞した。
ずっと側についてらした御長男が沈痛な表情で、気まずそうにされる挨拶を、逃げるように半耳で聞きながら。

「、、先月はァ、、お花、、、、ありがとゥ。」

口と鼻にかぶせられた、薄緑色の半透明な呼吸器をかすかに曇らせて、息を切らしながらお話されるのを聞き、師匠がもう二度と戻れぬ道を今、歩まれているのが否応無しに分かった。

その2日後だった。

添削用の朱墨で筆をしごき、硯に正確な円を描く。
硯の海に次から次と朱の波が層を重ね、たちまち濃い朱墨が溜まっていく。

一連の様は、やはり一つの道をずっと歩む人だけに宿る、特有の色気に満ちていた。

5年経っても思い出すのは、そんな日常の場面ばかりだ。

自分の体のどこかに師匠が授けて下さった技能が確かに存在する、というのは不思議な心持ちだ。墨の擦り方から、筆の持ち方まで文字通り手取り足取り教わった。

学校を出て、働き始めると「師匠」と呼べる方に一体どれほどの人が出逢えるのだろう?

その誇らしさと幸福を、擦りたての墨の薫りと共に噛みしめる。

飽きっぽく、アレに手を出しコレを捨て、、、その都度何かに取り憑かれたふりをして生きてきたけど、墨と筆は生涯、手放すつもりはない。

『紫陽花(あじさい)横山蘭葉 1982年』


※1てほん・・・大きな書道団体では必ず薄い月刊誌が発刊されている。そこでは月毎に変わる手本に添って提出された、会員の優れた作品がモノクロ写真で講評と共にびっしりと掲載されている。その月に昇級した人の名前も載るから、モチベーションを保てる仕組みだ。
師匠筋の創作的な御作も載り、会員の刺激となる。

※2そうしょ・・・美術館で昔の人が書いた手紙が掛け軸になったものをご覧になったことがあるでしょう。続け字で、当時の人間はスラスラ読めたらしいが、今ではとうてい判読不可能なはず。
日本人は中国から渡ってきた真名(漢字)をあえて崩して、(つまり華夷秩序に入る事を拒否して)仮名をあてはめた。
例えば、安→あ、伊→い、宇→う、など。
付け焼き刃の近代化の果てに、我々がかなぐり捨ててきたものの大きさと豊かさを、改めて考えさせられる。

※3かいしょ・・・小学校の習字の授業で書かされる、カクカクした文字。書体の歴史を過剰に意識した、不自然な筆運びの書体。
今のところ書家の力量を測る基準とされる。
楷書の名筆「九成宮醴泉銘(王陽詢)きゅうせんきゅうれいせんのめい(おうようじゅん)」の、柔らかい楷書を見れば、単に日本人が輸入の仕方を間違えただけなのかもしれない。

※4さいてつぶんこう・・唐代の政治家、軍人、書家である、顔真卿(がんしんけい)の名筆。
非業の死を遂げた親族(特に姪)への追悼文の下書き。
走り書きで、塗りつぶした跡があったり、文字にマルがついてたりと人間臭いリアリティはあるのだが、、、。
普段の顔真卿の楷書は、ゴルゴ13の眉毛のように凛々しく、そのギャップと姪への憐憫の情を知らないと、やはり単なる走り書きにしか見えない。
台北の故宮博物館所蔵。
2019年に上野の東京国立博物館に貸し出され、大ブームとなった。会場に連なる行列の中で、両耳に響く言葉は中国語だった。
わざわざ飛行機に乗って、国境を超え、古い紙切れを外国に見にいく、、、叙景詩が好きな中国人ほどには、日本人は風景を愛さない。

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