コレクションの行く末
この粉引の徳利ほしいなぁ。
大阪市立東洋陶磁美術館 が改装中の為、その所蔵品が東京は六本木に来ています。
コレクションを成した安宅産業のメインバンクの住友の縄張りで展示されてるのが、何やら趣深いですね。(コレクション散逸を防いだ、住友グループの見識はもう少し評価されていいはずです。台北の故宮博物館と比べても遜色ないし、なにより日本人の審美眼を端的に現したコレクションです。)
スペース的に少し詰めすぎの展示と、ライティングは大阪みたいに天然光ではないので、天目や青磁は見え方が少々違いますが、文句なしの至宝群です。
しかも全作品、撮影OK!
もう10日もすれば、博古館へは地下鉄六本木一丁目駅から、満開の桜並木をくぐって行けるはずです。
展示替え後の再訪は、その時か、あるいは新緑を愛でながらにしましょうか。
泉屋博古館 で5月21日まで。
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コレクションを成した安宅英一 は父から引き継いだ商社を時代の波に乗せ、その売上の一部を古美術蒐集に投じました。
オーナーの一存で大企業が文化を支えるメセナのはしりとして、どこか肯定的にとらえられるコレクションではあります。
音楽へのパトロネージュを含めて出光佐三とも並び評されますね。
しかし出光と違い、台所となった安宅産業の方は、やがて時代の逆波に飲み込まれ、今はもうありません。
メセナのせいで潰れたわけではないですが、粉飾決算、放漫経営、情実人事の果てに、このコレクションは築かれました。
無数の取引先を持つ総合商社の破綻は、社員や社会に途方もないインパクトを与えたはずです。
まさに路頭に迷う人達を大量に作り出した。
一人の強大な経済力をうっかり持ってしまった男の執着が、ここまで美しい物を呼び寄せ、そして会社が破綻してもなお、他者をして散逸を止まらせた。
富が遍在しないと、美しい物は存在できません。
民主的で、公平で、規格化された社会で、人はファストファッションに身を包み、ファストフードをしがみ、幸福なファストライフを送る。。。
その対極にある美しさは、どこかで残酷さを秘めているものでありましょう。
(いや、逆かもしれないな。)
上のニ枚は博古館から歩いて10分ほどにある、菊池寛実記念 智美術館。
今回は所蔵品展でした。
千葉の京葉ガスのオーナー夫妻が集めたコレクションをもとに出来た、現代陶芸の個人美術館です。
贅を凝らした建物は日本が調子良かった、最後の華といっていい。
まさに現代陶芸の粋を集めています。
しかしすでにお二人も、初代館長も亡くなり、立ち上げ時の主要な学芸員もいない。
そして美しい作品群と館が残されました。
いつか来た、やがて行く道、かもしれません。