#03 「プロデューサーの夢。」
唐突だが「アイドルマスター」というゲームをご存知だろうか。
初出は2005年。
アーケードゲームとして封を切ったこの育成シミュレーションゲームは、
ニッチなジャンルにもかかわらずその後動画文化黎明期のニコニコ動画でMADムービーとして勢力を広め、徐々にその知名度を高めはじめる。
そして2007年、XBOX360版の発売を境に爆発的な人気を獲得。
以降もその系譜に連なる作品を多数輩出し、美少女育成というカテゴリに
おいて不動の地位を獲得するに至るわけだ。
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非常に不躾な告白ではあるが
わたくしことWabokuはアイドルマスター(XBOX360版)の大ファンであった。
当時としては挑戦的なセルシェーディングCGのキャラクターは、違和感を感じさせるどころか各アイドルの魅力を余すことなく表現しており、
また手書きのアニメートでは発揮できないフレキシブルな感情表現は、
まるで現実に2次元が侵食したかのような、未知の悦びを感じさせたものだ。
駆け出しアイドルを担当するプロデューサーとして二人三脚で険しい道のりを選び、進み、時に笑い、時に泣き、
壁の高さに絶望しようとも再び挑み、最後には栄冠を勝ち取る。
達成感は勿論、その道程の尊さを感じる事が出来るのは、
各キャラクターの魅力を伝える事に腐心し尽くした本シリーズならではの醍醐味だと太鼓判を押したい。
言うに及ばずだが、
某動画配信サイトにて、アイドルコミュ(イベント)動画を覗いた当時の
わたしは、今までプレイしてきた数多のシミュレーションとも異なる
このゲームに一瞬で魅せられてしまったのだ。
一度実機でプレイしてみたい。願わくば〇〇Pなどと肩書を名乗ってみたい。
しかし。
時代はPS3、あるいはWiiの台頭で沸き立っていた頃。
Waboku家も例に漏れずSONY党であり、家族間でのシェアリングが難しいXBOXなど当然購入選択肢にはなかった。
(ましてや多感な時期、アイドルのゲームがやりたいなどと親にねだれるはずもない。)
潔く諦めた私は、再び動画サイトに潜り、他者のプロデュース画面を
日々眺めることで自分をなだめすかし、そのうち自分もPになるという願望も徐々に失っていった。
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時は流れ、2021年初春
仕事に追われる日々を過ごしていた私はふと自分の孤独に気付く。
何だかんだ私もそれなりの年頃であり、当然周囲もそういう年齢だ。
結婚入籍プロポーズ、
それらめでたいツイートがタイムラインに花吹雪く。
私は祝福の気持ちと同時に、何とはなしに孤独を感じていた。
気晴らしか憂さ晴らしか、足しになる何かを求めた。
事ここに至り、もはや今後の顛末を記す必要もないと思う。
そう、わたしはバンダイナムコのホームページを開いていたのだ。
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「アイドルマスター」と書かれたページを開くとそこには15周年というモニュメントが掲げられていた。
そうか、そんな月日が経ってしまったのか。
あの日、ソフトひとつ、課金ひとつも満足に求められなかった少年は、
幸か不幸かPではなくDとしての翼を得て舞い戻ってきた。
.だが、当時私にとって高嶺の花であったアイドルたちは
世代交代を経て第一線にはいないようであった。
15年も経てば人は変わる。
私も変わったし、彼女らも当然変わっていくのだ。
そこに幾ばくも惜別を感じる事はなかった。
なればこそ私も憧れを追い続けるのではなく、まだ何者でもない者たちへ翼を与えるべきだと、
有体に言えば、新たなアイドルマスターをプレイすべきだと前を向いた。
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開いたブラウザに女性がひとり。
気付けば私はモニターに声を掛けていた。
「君が僕の担当アイドルか?」
私はこの日感じた幸福を、失っていたプロデュースへの熱情を、
もう二度と忘れないだろう。
こうして私の、15年越しのプロデュース生活が始まった。
(今後アイドルマスターシャイニーカラーズ記事始まっちゃうから気を付けてね)
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