#08 「道化師。」
いつだったかの秋ごろ、珍しく内省的な思いで一つの作品を制作した。
「道化師」というタイトルのミクストメディアアートである。
(トップ画参照)
もともと写真撮影が好きだった。iphoneでもデジ一でもフィルムでも。
この作品は「自分」を投影したものだった。
「自分」とはWaboku本人というより、もっと普遍的なものかもしれない。
自己が認識する自己とでも言うべきか。概念的な意味合いが強いように思う。
Wabokuが、Waboku本人を俯瞰で見たとき「自分」というものはたいてい本人からこう見えているのだろう、という意識で作ったのだ。
(大変伝えづらいがなんとなくで察して頂きたい)
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ただ広い海岸と空が続いている。
個人の思い出の中に存在する場所だ。
そこには、飛行機の搭乗口や腕時計、女性物の服を着たマネキンがはるか遠くに霞んでみえている。
海岸に佇む男には顔が無く、代わりに電柱や街灯が無数に生えている。
真っ黒なシルエットと相まってガラクタの山のよう。
俯き気味に海岸を見つめる男は、奥に霞むものが大事なものと気付かず
いや、もしかしたら気付いていたかもしれないが、
目線は動かぬまま。奥に目を遣ることは無かったのだろう。
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おそらく、数々の過ちと道の選択を誤ってきた存在こそが「自分」であると
私自身も思うし、多少ネガティブな人間であれば皆そう在ると思う。
こうなりたくなかったと思っていた自分になってしまったとも。
この当時、私も自分という存在をそう捉えていたのだろう。
それでも、男が霞む思い出に目を背け続けたのは
どうあれ今はただ前へ進めと訴えたかったのだと思う。
「道化師」が作られた時期は、そういう事をとにかく言いたい心情だった。
(ハゼ然り、MILABO然り)
以上、
秘めた思いは出さぬがカッコいい。でも伝えなきゃわからぬこともある。
そんなよくある深夜の一人語り。
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