【n%フィクション#9】人生で1番長かったケンカの話(後編)
そして高専5年の門出の今
ひとひらの意地が消える、長い、長い喧嘩だった。
〈前編・3行まとめ〉
・高専1年、悪い意味で年齢を感じさせないケンカ発生⇨大敗
・逆襲したくも思いつかず、結局緩やかなコミュニティ追い出しで違う道へ
・とはいえ部活が一緒なんで会うには会う
〈3年・夏〉
高専は3年、喧嘩からは2年、自分は、前編で2,000文字も書いた例のケンカをすっかり忘れていた。というのもそれどころじゃなかった。友達がマルチにハマったり、自分自身フラれたりで思えばこの頃からろくなもんじゃない。だから、自分は部活で往々に話しかけて、向こうから度々に受けるぎこちなさも気の所為程度で踏んでいた。8月は合宿、向こう側が違和感に耐えかねたのか、ついに当時のことを切り出した。
「俺たちって...喧嘩してなかったっけ?」
この時にようやく思い出し、引きずるタイプだなあと思いつつ、軽い感じで謝った。とはいえ、入寮数週の喧嘩。向こうからすれば半ばコミュニティを追放されたに近い、当然だが許せないところも多いんだろう。周りが気まずさに察したのか、いい感じに濁してくれた。そして向こうはこう告げる。
「高専5年、卒業のときに謝るよ。」
冗談なのか、本気なのか。相手の苦笑いから真意を汲み取れない。しかし返しは100点だった、その場はそれで流れ、そして互いにこのことを触れる機会はほとんど無くなったまま時も流れていった。今度誰かと喧嘩したらこう返せ、そんなネタ話にちょくちょく使う程度だった。
〈高専5年・卒業前夜〉
そして時流るる2年、高専は5年。世間ではコロナ騒ぎが本格化し、各地で卒業式の中止が相次いでいた。しかし我らが舞鶴高専、規模を縮小することでギリギリ開催に漕ぎつけた。たかが5年、されど5年。形はどうであれ、形式的にでも開催してくれるのはホントに嬉しかった。3月も半ばで春休みのため、帰省した自分は、卒業式前日に舞鶴入りし、友達の家に泊まっていた。卒業前日で悪酔いが過ぎ、黒歴史の暴露やどちらのナニが長いか真剣勝負など話せないことばかりだが貴重な時間だった。
そして、当日。別れを祝うように満開の桜が....咲くことはなく、3分咲き程度だった。さすが京の最果て薄ら寒い。時間こそ短かったものの式典は穏やかにそしてつつがなく進んだ、強いて言うなら友がネクタイを忘れたせいで1人クールビズになったくらいだ、なんならベルトも忘れた、晴れ姿とは?。式典後は写真撮影。感動の涙というより、解放の笑みが勝るのか皆和気あいあいとしていた。自分もご多分に漏れず、撮ったり撮られたりの繰り返し、そんなときだった。
「びっちゃん、ちょっと良い?」
振り返ると、そこにはかつて喧嘩した旧友がいた。スーツが決まった晴れ姿なのにどこか表情は固い。なんだろう、集合写真の声掛けかな?まあ、仲がそこまで良くないから言いにくいんかな。この程度にしか思っていなかった。すると彼はぎこちない笑みを浮かべながら話し始めた。
「1年のあのときホントにゴメンな、言うのも遅くなってごめん。」
高専1年のあの日のことを、高専3年に約束し、そして高専5年の門出の今、確かに、そして誠実に果たした。約束通りの2年越しの謝罪、それは嘲りや笑いを通り越して、もはや感動を感じる自分がいた。かつて忌み嫌った旧友はこんなにもすごい奴だったのか。進路も専攻も違う、別に謝らなくても何一つ損はない。それでも、それでも謝ったのだ。謝るはずがないと散々ネタにしていた自分が少し恥ずかしく、気づけば自分も謝罪を口にした、そこから二言三言、お互いのこれから話し武運を祈った後、お互いのコミュニティに帰っていった。5年間の高専生活のともに、長きにわたった1つの喧嘩も幕を閉じた。ひとひらの意地が消える、長い、長い喧嘩だった。
〈後日談〉
....とここまで書けば、まあまあ美談である。
しかし、こんな美談で高専生活は終わらない。
実は、この後に皿そば大食い対決をしたり、秒で学校に呼ばれた末、大掃除に付き合わされたり感動は数瞬で終わるハメになる。また式典で配布された卒業アルバムにも今だから笑えるとんでも修羅場話がある。でも全て書くには、あまりにも長いのでこれはまたの機会に。
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