ライターの仕事に関して今思うことをつらつらと
私はプロのライターを名乗っているが、その文章は全く洗練されていない。もっと読みやすくスッキリ洗練された文章で記事を書く人など掃いて捨てるほどいる。下手すると私のライターレベルはセミプロレベルだ。
また、これといった資格はもちろん、高い学歴も頭の良さもない。長年専業主婦だったので当然なんのキャリアもない。同じテーマの記事を書いても、キャリアが豊富な人や深い専門知識を持つハイレベルな資格がある人には逆立ちしてもかなわない。
ライターには高学歴・ハイレベルな資格、輝かしいキャリアなどを持つ方も多い。そうでなくても、生き馬の目を抜くこの世界でたくましく生き残っているライターさんも少なくない。
そのいずれも持ち合わせておらず、長年世間知らずの専業主婦だった私は、今でもこの世界で気後れすることが多い。
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ただ、私には1つだけ他の人と勝負できる部分がある。
昔から「知らないことを知らないままにすることが絶対に許せない」という性分で、一旦調べ始めると寝食を忘れるレベルでとことん調べつくす性質があることだ。
その点にかけては容易に負けない自信がある。
また、知ったことを完全に自分のものにし、それをわかりやすく人に伝えたいと思う気持ちも、他の人よりはるかに強いと思う。
具体的に言えば、たとえ報酬がタダでも異常な熱量で情報を調べつくし、それを人に説明できるレベルまで持って行くこともいとわない・・・と言えばおわかりだろうか。
この4年半、私はずっとバカの一つ覚えのようにその姿勢を貫きながら仕事をしてきた。
そんな効率の悪いことをしているおかげで、4年半もライターをやっているのに収入は非常にお粗末なレベルのまま。でもそれでいいと思っている。
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私にとってライターの仕事はお金を稼ぐ手段であるが、それ以上に自分の「知らないことをもっと知りたい」という渇望を満たす手段としての意味合いが強い。
また、純粋に「自分が知りえたことを多くの人にわかる形で伝えたい」という強烈な欲求も併せ持っており、もはやそれは自分の中でミッション化している。
単価が相場より低いのにそのような姿勢で仕事をするライターは、クライアントにとって非常に都合のいい存在ではないだろうか……良くも悪くも。うーん。それで本当にいいんだろうか……と迷うこともしばしばだ。
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でも、その方針でやってきて間違いはなかったと、今は確信している。また、ずっとその方針を変えない方がいいとも感じている。
そのような姿勢を評価してくれる奇特なクライアントが複数いるし、書いた記事のいくつかは多くの人に読まれている。
たとえば直近で出た記事は、2日で10万アクセスに迫る勢い。もちろんクライアントの利益にもちゃんと貢献している。それはライターとしてとてもうれしいことだ。
自分がお金をもらうことよりも、そのようなことに幸せを感じる私は、本当に変わっているライターだと自分で思う。
でも、私が利益の多寡よりも「知りたい、誰かに伝えたい」という気持ちを優先させてきたことはたぶん正しかった。それでクライアントが喜び、こんなに厳しい状況下でも仕事を継続してもらえるのだから万々歳だ。
そんな私でもそれなりに評価してくれるクライアントがいるからこそ、4年半も廃業せずにライターを続けてこられたのだと思う。
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私たちフリーライターは完全成果主義だから、仕事の量をこなせる人やハイスキルな人の方が圧倒的に有利だ。
しかし、利益度外視でとことん情報を調べつくし、時間をかけて読者に熱量のある記事を届けたい欲求を持つ私のようなライターにも一定の需要があることは確かだ。私がこの仕事を続けていくなら、効率が悪くてもその点で勝負するしかないだろう。また、勝機があるとすれば、唯一の武器になるのはそれしかない。
その武器が使えるうちは、細々とでもライターを続けていこうと思っている。そして、加齢などで今の武器を使えなくなったらそこで終わり……でいい。たぶんそれが私がライターを続けられる限界だろう。寄る年波には勝てぬ。
とりあえずあと10年あまり、年金受給年齢になるまで需要が続けば御の字……かな?こんなご時世だから、その年まで無事に生きていられるかどうかもわからないけど。
※追記
ここまでの駄文を最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
今日も全く洗練されていない文章をダラダラと書きましたが、noteではずっとこんな感じで行こうと思っています。ここはなんの縛りもなく自由な形式で、言いたいことを書きなぐる場所だと位置づけているので。では。<(_ _)>