みやぎ登米講談教室
「レ・ミゼラブル」仕上げの3回目の教室が終了しました。
この課題の講談プリントを手にした時
小学3年の頃を思い出した。
小学生の頃毎年4月になると、
本が送られて、
いつも楽しみにしていた事。
「ああ無情」の本の事。
小学3年生の春は、世界名作全集20冊くらいをおじが送ってくれた。
その中で、お気に入りとそうでもないものとがあり、2冊だけ、小学生の私がつまらない分類に入れていたのが
「シートン動物記」と「ああ無情」だった。
小学生の私は、理解できなくて、本棚に並んだ背表紙を見ながら、プレゼントされたのに読んでいない後ろめたさを感じていた。「ああ無情」「レミゼラブル」
正確には、読んだけど理解できない楽しいと思えなかったのが正しいかな。
登場人物が、これでもかってくらい不幸で、可愛そうで、暗くて重くて。
本の最後のああ無情の解説のページだったと思う。
「大人になったら、原作を読んでみましょう」というニュアンスの事が書かれていた気がする。
小学生の私は、
今はわからないけど、大人になったら読めばわかるんだろうな
とぼんやり思った。
それが、頭の片隅にあったけど、
苦手と一度思ってしまった本だからか、大人になっても一度も手にとって読もうと思った事はなかった。
講談教室でレミゼのプリントを手にした時、思わず
「わー、これ小学生の時の私の忘れ物だ!やっぱり読まなきゃいけないんだなぁ、レミゼから学ぶこと沢山あるんだよっていう、プレゼントなんだなぁ」って思った。
実際にレミゼの講談を通して、学ぶ事が多かった。
本を読む、というところを超えて、
読み込んで表現する事で、
ジャベル警部のプライドからくる黒い心だったり、
ファンティーヌという女性が生きていく為に選択した、悲しい部分だったり
ジャンバルジャンの過去と現在の対比だったり
コゼットの境遇だったり。
様々な人物が目まぐるしく登場して、
いろんな複雑な思いが絡まっていて。
そこを講談を通して理解したり共感したり疑似体験する事で、心が磨かれるように思う。
講談教室。とってもとっても皆さんにオススメしたい。
受講している方お一人お一人、講談から習得している事は違うと思うけど、
私にとって良いところは
様々な人物の生き方を表現し共感する疑似体験ができる事。
言葉一つ一つに注意して伝えたい事が伝わる表現ができているかを、確認できて、学べる事。
一緒に学ぶ仲間がいる事
教室へ向かう時、誰からともなく車の中で、当たり前かのように、
山緑先生の講談を録音したものを再生して、復習したり。
講談を通してこんな事やりたいよねって本気で話したり。
お酒飲みながらでも、講談の話題で真剣に話していたり。
そんな仲間のパワーに圧倒されながら、ワクワクしたり。
講談って聴くのも楽しいけど実際自分が読んでみることで、楽しいを超えて、
心を鍛えたり、人間関係を円滑にするヒントだったりが見えてくる気がする。
次回は9月10日(火)
みやぎ登米教室は19時より
「弁慶と牛和丸」
大崎市の教室は15時半より
「伊達家の鬼夫婦」