"ない"がある【16週6日後期流産⑤】
深夜の緊急破水は思ったより大事ではなかったようだ。
むしろ向かいの分娩室からものすごい息み(というか雄叫びという感じ、雌なのに)が響き渡っていて、「出産て大変なんだなあ」とまさに他人事だった。
分娩室は窓がなかったが、集まり始めたので朝になったのだろうとわかった。
分娩台で起床した私はそのまま分娩台で朝ごはんを食べた。
朝ごはんのお魚が神々しく美味しくて、この後も頑張ろうと思えた。
この間、分娩台でいろんな善意にふれた。
私が産後赤ちゃんをどうしようと言っていると、病棟のナースさんが赤ちゃん用にお手製の棺を作ってくれた。また、同じような経験をしたお母さんたちが作ったという赤ちゃん用のお洋服や手紙をもらった。
涙が止まらなかったけど、赤ちゃんは優しい気持ちに包まれて生まれてくるんだ、とこれから迎える出産を前向きに思えた。
この日を誕生日と言っていいのか、命日というべきなのかわからないけど
面会時刻になり、夫が分娩室に入室した。
私がこれまで受け取ってきた優しさを夫にも伝えると、疲れ切った夫も穏やかな表情になった。
陣痛促進剤を入れてから、しばらく夫と2人きりにさせてもらった。
ぽつりぽつりと、お互い気持ちを整理しながら、赤ちゃんの死後の捉え方について話をしていた。
夫が大事なことを話しかけたが、なんかお腹がモゾモゾしたので、「ちょっと呼ぶ(ナースコール)けど続けて」と言ったのをはっきり覚えている。
するとお医者さんたちが駆けつける前に、夫の話を聞きながら赤ちゃんがスルッと生まれてきた。
あまりにもスルッと出てきたので、私が想像していた壮絶な出産とのギャップに、声を出して大笑いしてしまい、お医者さんたちが慌てているなか、サイコパスみたいになってしまった。
生まれてから赤ちゃんは男の子だったとわかった。
それを知る前から夫が買っていたトミカと一緒にたくさん写真を撮った。
思った以上に赤ちゃんの形をした、思った以上に私たちによく似た赤ちゃんだった。
赤ちゃんに会えて本当にうれしかった。
死んでしまっていても嬉しいのだから、元気な赤ちゃんに会えていたらどれだけうれしかっただろうか。
赤ちゃんが出た後、器具で子宮から胎盤を引っ張り出されたときは「まだあるんかい!」と思ったが、夫婦の会話に合いの手を打つみたいなタイミングで生まれてきてくれて、冗談抜きで幸せなお産だった。
午前中にお産が終了したため、分娩台の上でお昼ご飯を食べた。
いまだかつてこんな優雅な出産があったのだろうか。
子が親を成長させるというのはどうやら本当らしい
この日に、私が出産をしたという事実をなくすことはできない。
母子手帳や死亡届にも、赤ちゃんの名前はないけれど、この日が記載されている。
まさに空有り。
赤ちゃんの心臓は止まっていたけれど、赤ちゃんの誕生までたくさんの人とのつながりがあって、幸せにこの日を迎えられた。
みんなが聞いてうれしい気持ちになるはずもない話だけど、私はこのことが誇らしくて黙っていられなかった。
悲しいから黙って何もなかったかのようにふるまうのは絶対にできない。
多分この世に私が経験したことのない悲しみはまだたくさんあるし、自分の内側がどうなっているかもわからないのに、他人のことなんかもっとわからない。
だが、「人は人、私は私」という軸が、排他的な意味でなく、相互理解の方法としてやっと自分の中にできたようだった。
想像力に深みが増したというというか、世の中を見つめるまなざしのレイヤーがまた一つ増えた。
流産の話は次の更新で一区切りです。