無情の説法【16週6日後期流産④】
人生二度目の入院支度をした。
前回も準備はしたし、それでもまだ現実を受け入れられない。
流産の実感どうこうよりも、入院して点滴するまでは、とにかくお腹が痛くて何も考えられなかった。
病院に到着するなり、ヨボヨボ歩くのを見かねて車いすに乗せられたくらいだ。
そして娩出のための処置が始まった。
ラミナリアという海藻の一種?を子宮口に複数本いれて広げるというものだ。
点滴で腹痛が和らいだのもつかの間で、この処置の痛みから、私の赤ちゃんは死んでしまったのだと実感させられた。
こんな風にメンタルと身体を同時にやられた経験は後にも先にもない。
狭くて居心地の悪い子宮から、赤ちゃんを早く出してあげなくてはならない一心で耐えるしか、私にできることはなかった。
処置は3回くらいに分けて、徐々に本数を増やしていく方針だった。
が、2回目くらいのときに確か私は25本くらいいれた。
このラミナリア、いれるのも固くてしんどいが、入れ替えの時に抜くのもまたしんどいのである。
最後の処置の直前、いまから25本抜くのか、そしてさらにそれ以上いれるのかとおもうと、さすがに足がガクガク震えだして止まらなかった。
お医者さんたちは忙しい合間を縫ってきているようで、毎回処置の担当が変わった。
赤ちゃんの姿を見られる嬉しさで恥ずかしさを克服した処置台が、再び恐ろしい存在に戻った。
研修中みたいなお医者さんが「わっすごいな…」(何が?)とか言いながら処置していようが、感情を極力“無”にするほかなかったのに、最後の処置になって、エモーションが爆漏れしてとうとう泣き崩れた。
そんな私を、待ってくれた人がいた。もう恥も尊厳もなく、ボロボロ泣きながら話す私のうわ言に、お医者さん看護師さんとは耳を傾けてくれたのだ。
仕事とはいえ、またお医者さんたちにも悲しい思いをさせてしまったと謝った。
お医者さんは「お母さんががんばるから私たちも頑張るんだ」と言ってくれた。
そっか、私はお母さんか。
結局、子宮内膜破裂のおそれがあったので、その日の処置は中止となった。
私がボロボロだからお医者さんが居た堪れなくなったのでは?と思った。
しかし、その判断が正しかった証拠に、
その晩0時過ぎ、寝返りを打った時に「パンッ!ジュワ~」と文字通り破水した。
車いすで分娩台に運ばれた私の脚は、情けなくまたぶるぶる震えていた。
私を運んでくれた看護師さんは、この日の処置のときと同じ人で、心強く励ましてくれた。
そして立ち合いを希望してくれていた夫を通常分娩さながら深夜に呼び出したが、陣痛が来ていなかったことから、リスク低減のため人員がそろう翌朝9時まで一旦ストップとなった。
私はというと、分娩台の上でスヤスヤ眠った。
破水して以降お腹の張りがなくなり、分娩台の上はむしろ心地よかった。
夫は真夏の夜の駐車場で一晩過ごしたらしい。
破水からここまで、病院スタッフが短い言葉で焦らず的確に対応してくれた。
毎晩こうやって待機してくれるチームがいるなんて。
赤ちゃんは私の知らなかったことをたくさん教えてくれた。
つづく