Kindle『サバティカルタイム 』 はじめに〜プロローグ前半大公開!
5.14にKindleで、3作目の書籍を出しました。出版を記念して「はじめに」を無料で公開いたします。おもしろかったら、本編でお待ちしていますね!
はじめに 〜サバティカルタイムとは〜
2022年の今からちょうど2年前、会社員を辞めることにしました。
大きな理由は2つです。
①定年を迎えない人生の準備をしたい
会社員でいると、社内スキルばかりが伸びた状態で、定年を迎えた60代に突然社会に放り出される。その後20年、30年と生きる可能性が高いので、自分で稼ぐ力を身につけたい。
②時間を固定される働き方から脱したい
ワーママ第二の暗黒時代の悩み(小1の壁、子どものお世話が「保育から教育」になり、毎日9時間も仕事に固定されると、子どもと向き合う時間がない!)によって、「お金より時間のほうが価値が高い」ことをやっと身体知として感じられるようになった。
私は新卒で外資系企業に就職し、30代で管理職を経験、途中育休を2回取得しながら、会社員として16年間勤務しました。その後、2020年の4月に退職し、サバティカルタイムを取って小さなチャレンジ、試行錯誤をしてきました。
サバティカルタイムとは、使途用途を決めない休暇のことです。一般的な「サバティカル休暇」は、次のように定義されることが多いです。
①理由(介護、海外駐在帯同、進学など)がある従業員に長期休暇を与える制度
②長期勤続者に対し、休暇理由に関係なく与えられる一定期間の長期休暇
2021年4月には、全日本空輸が理由を問わずに最大2年間休職できる「サバティカル休暇制度」を導入して、マスコミに騒がれていました。休暇中は基本的に無給ですが、「用途を問わない」数カ月〜年単位の休暇というのは、社会人にとって魅力的です。有給休暇は取れても年間20〜40日なので、期間が短いですよね。
もちろん、企業にとってもメリットがあるから導入しています。
たとえば、共働き夫婦のどちらかが海外駐在になった場合、もう一方は帯同するのかしないのかという問題があります。そのときサバティカル休暇制度がある企業は、優秀な人材を失うリスクを回避することができます。
また、サバティカル休暇を利用して大学院に進学した人が、学んだことを仕事に生かしてくれるなら、それも企業にとって大きなメリットです。
私が在籍していた会社にも、①のようなサバティカル休暇(最長2年)がありましたが、本人の留学や子どもの病気や介護、パートナーの海外駐在帯同といった理由でしか取得が認められませんでした。私の場合、「第二の職業人生を模索したい」が理由だったので、退社して自主的に取得しています。
私が定義している「サバティカルタイム」とは、あくまで「使途用途を決めない」休暇であることが条件です。つまり、「ライスワーク(生活費)のためには働かない」というのが軸になります。
ライフワークを探す、もしくはライスとライフを兼ねる職業を模索するための休暇です。いわば「モラトリアム期間」といった感じです。
実際、サバティカルタイム開始直後の4月、5月は、新たに収入を得るための活動は何もしていませんでした。中小企業支援団体の勉強会に出たり、セミナーに参加したり、何が向いているかを模索しながら小さく試したりしていました。ヨガのプログラムやHPもこの頃に自作しています(のちにプロに頼んで全面リニューアル済)。
これらは、収入を得るためにやっているというより、「私には何が向いているかな」と自己探求していた感じです。
会社を辞めたときは、具体的な職が決まっていませんでした。しかし、サバティカルタイム中に収入度外視でいろいろと試してみた結果、現在はヨガ、不動産、発信(文筆)の3つが収入の柱になっています。
「フリーランスと何が違うの?」とよく聞かれますが、フリーランスの定義は「特定の企業や団体、組織に所属せず、業務委託で自らの技能を提供することによって社会的に独立した個人事業主」ですので、そもそも提供する「自らの技能」すら持っていなかった私は、フリーランスではありません。
業務委託で仕事をいただくことも、まったく想定していませんでした。むしろ、「自分で自分にしかできない仕事の種を見つける期間だ! いろいろやってみるぞ!」とワクワクしていたのです。
本書は、私自身がサバティカルタイムを取るに当たって考えたこと、準備したこと、サバティカルタイム中に考えたこと、どんな試行錯誤をしながら過ごしてきたのかをまとめたものです。noteマガジンとして書きためたものをベースに、加筆・修正を行って仕上げた、いわば「サバティカルタイムの集大成」です。
前半は、私自身がサバティカルタイムを取るために行った準備や、試行錯誤の経緯、思考の整理について。後半は、これからサバティカルタイムの取得を考えている方、自分ビジネスを作りたい方に向けて、私の経験からお伝えできることをまとめました。
この本が、人生100年時代を自分らしく、しなやかに生きていきたい方にとって何らかのヒントになれば幸いです。
【プロローグ】ワーママ第二の暗黒時代の中、サバティカルタイムへ
ワーママ第二の暗黒時代の到来
2019年、勤続15年でワーキングマザー歴6年。当時3歳になった次男はオムツがほぼ外れ、長男も小学校に上がりました。「そろそろ仕事に没頭できるかも」と思っていた矢先に、ドーンと来たのが「小1の壁」。
第一子出産後より私が年を取っている(32歳→38歳)のもありましたが、年々楽になる予定の育児が全然楽になりません。第一子出産後の「ワーママ第一の暗黒時代」に次ぐ「ワーママ第二の暗黒時代」の到来。
それまでは、朝7時半に家を出て、19時前に帰宅。21時に寝るまで2時間しかないものの、2人とも保育園に行っていた頃はどうにかやりくりできていました。
なぜなら、やることが全部「お世話」だから! 「ごはん、風呂、寝る」のお世話だけで、どうにか母子の生活は回っていたのです(お世話の合間に洗濯、掃除、調理などの家事をする)。
「お世話」の強みは、外注が可能だということ。ベビーシッターさん、祖父母(わが家はいないが)などの他人でも代わりにできるのです。しかし、長男が小1になって「学業」に携わるようになると、そうもいかなくなってきます。
・毎日の学校の宿題確認(親のサイン込み)
・習い事の送迎
・学校での出来事を確認する(本人から聞き取り)
・連絡帳で明日の準備物を用意する(工作の材料など)
・先生とのやりとりを連絡帳で確認する
・行事に必要な物がないかチェックする
・息子の話を聞いてやる(重要)
「お世話」に加えて「学業+心のフォロー」にも神経を使うようになり、保育園時代とは比べものにならないくらい精神疲労が半端ない。しかも「学業+心のフォロー」は親じゃないとダメなのです。
学業や学校に関連することは、同じ人(わが家の場合は親)が継続的に見ていたほうが把握しやすいし、子どもも自分の話は「親」に聞いてほしいんですよね。
「学業+心のフォロー」の任務が重くのしかかり、まるで「帰ってからも仕事が待っているような気持ち」になってしまう。加えて次男(2歳児クラスの保育園児)もいる……。
「小1の壁」の実体
「お世話」は何も考えずにルーチン化して行えますが、子どもの学業にまつわるフォローはルーチン化できません。
・連絡帳に書いてある宿題や明日の持ち物(よく変わる)が入っているか確認する
・一つ一つの宿題にサインをする(丸つけも教科によって青、赤などルールあり)
・学業で遅れていそうな部分をチェックする
やること自体は大したことありませんが、毎日内容が変わるので、なかなか地味にしんどいものです。
帰宅後2時間という短い時間で、保育園や学校の準備、習い事や学童の準備までしていると、時々どこかに抜け漏れが発生します。
・学童に行く日ではないのに行かせてしまった
・宿題の丸つけをあとでやろうと思って忘れたまま提出(忘れ物扱い)
・シッターさんの手配を失念していた(頼んだつもり)
長男の学校は「ハンカチとティッシュの持参チェック」があるのに、私が確認を忘れた日に限ってハンカチかティッシュを入れ忘れていたり。
正直、私は持ち物チェックは「自分でやればいい」と思っているのですが、学校からは「親が必ずチェックするように」という指示があります。2回連続で忘れると、今後どうするつもりかという「反省文」を連絡帳に書いて帰ってくる……。それによって、私が精神的ダメージを食らいます。まだ自己管理ができない1年生の場合、「チェックしていない親の責任」を学校がじわじわ責めてくるのです。
先輩ワーママからは「学年が上がるにつれて自分でやるようになるよ」「そのうち親の出番がなくなるよ」と言われるのですが、楽になる日は一体いつなのか?
たとえば、それが「小学校3年生」だとしたら、そのとき次男は年中。翌々年になると、次男がまた小1! 「あと6年もこの生活が続くのか」と愕然としてしまったのです。
6年も続いたら、私は44歳。その頃には、長男の高学年なりの悩み(反抗期、するなら中学受験、友人関係など)もきっと出てくるはずです。
ワーママ的働き方の岐路に立つ
職業人生が80歳まであるとしたら、残り42年を「どう働きたいのか?」、そろそろ考えなければいけない時期が来ていると感じていました。
当時勤めていた会社は、いろんな部署に異動ができて、飽き性の私でもキャリア形成を楽しむことができました。しかし、ワーママになると、保育園などの問題で転勤を伴う異動がかなわないことが多く、キャリアの停滞にモヤモヤ。
このままの働き方では、今後10年以上子どもとの関わり方について悩み続けることになります。解決するためには、働き方を変えるのか? 働き方を変えずにどうにかやり過ごしていくのか? パートナー(夫)が、私の負担を担うという手はないのか?
何度か夫婦で話し合ったのですが、夫の職業におけるシフトダウンは退職しかありません。彼は「仕事をするのも辞めるのも好きにしていいけど、自分は職場も職業も変えるのは厳しい」と言い、議論は平行線のまま。必然的に迷える私が「選択」を迫られました(ここは賛否両論ありそうですが、わが家は夫の辞めない選択を尊重しました)。
そうなると、私は自分を変えるか、自分を取り巻く仕組みを変えるしかありません。
①勤務時間が短い職業に転職
②仕事を辞めてしばらく家庭に入る
③自分で仕事を始めてみる
どれがピンと来るのか?
現状の仕事に不満はなくても、キャリア停滞のモヤモヤが改善しないことは明らかです。このまま働き続けても、問題の先送りをするだけ。半年後も同じことを言っているのが目に見えていました。なぜなら、第一の暗黒時代と違って、「改善、もしくは効率化をすれば解決する」という未来が見えなかったからです。子どもの「お世話」は、外注や効率化によってどうにかなってきたのですが、
・子どもの「学業+心のフォロー」
・80歳までの自分のキャリア構築(60歳でシフトチェンジは遅い)
これらは外注や効率化では解決しない。解決してくれるのは「私自身の選択、決断、覚悟」、この3つだけだと思いました。
キャリアの方向変換をしたママたちに会ってみた
「私自身の選択、決断、覚悟」をするために、実際にワーママになったあとに退職し、自分の道(転職、自営など)へ進んだ何人かとお会いして話をしてみました。
・せっかく勤めてきたのに辞めるのはもったいない
・収入は減ったけど、時間が増えるから楽しいよ
・毎日会社に行かないから、自己管理が大事
・子どもといる時間は確実に増えた
・病気になるのが心配
・稼ぎをコントロールして税金負担が減った
ご意見は多種多様! 結局は自分次第だと痛感しました。会社員だろうが、自営だろうが、ワーママだろうが、独身だろうが、「コップに半分入った水」を見て「半分もある」と思うか、「半分しかない」と思うか、人によって違うという世界なんですよね。
会社員を辞める迷いを言語化してみた
私は会社に所属することで、自分の社会における存在価値を感じてきました。会社で築いてきたキャリアや人的資産もあり、これが消えるのがもったいない(現ポジションに1年後戻りたくても戻れない)という気持ちもある。
そこで、まずは頭の中にある迷い、悩みをシンプルにすることから始めました。
サラリーマンが会社を辞めるかどうか悩む原因の多くは、現状維持バイアスなんですよね。現状維持バイアスとは、「未知なもの、未体験のものを受け入れたくないと感じ、現状のままでいたいとする心理作用」のことです。
現状そんなに困っていないけれど、新たなことにチャレンジしたら、より良くなる可能性がある。でも、今より悪くなる可能性もある。それならこのままでいいや、というやつです。
大きなきっかけがない限り(給与、人間関係、ポジション、ハラスメント)、現状から抜け出す勇気が持てない。特に日本の新卒一括採用、就職氷河期を経験した身としては、「元の職場に戻れないけど、辞めていいのだろうか?」という不安があります。
そこで、現状維持バイアス打破として、不安を分解してみました。すると、私の大きな不安は「収入減」と「自分のビジネスを作れるのか」の2つでした。
①収入減
私は本業で年収1,000万円ほどいただいていたので、これがなくなるのは大きな不安要素です(夫婦別会計なので、負担が一定額ある)。しかし、4年前から複業(不動産業、発信業)を始め、会社員以外の収入が増えてきていたので、「当面は心配しなくていいのでは?」と考え方が変わってきました。
「副業収入が本業の収入を超えてから退職するべきだ」という意見が多いですが、「ワーママで毎日1時間半程度しか副業(複業)できない」私には無理だなと薄々感じていました。
そこで、最低生存月額(経済評論家の上念司さんが使っている用語)を計算しました。最低生存月額とは、私が生きているだけでかかる必要月額のことです。
私の場合は「保育料、食費、通信費、子ども被服費など」で、月に約20万円ほどの負担。会社員を辞めても、現在の副業で最低生存月額を確保し、生きていけることが判明しました。それによって、不安が1つ解消されました。
②自分のビジネスを作れるのか
私はかねてより、定年を迎えない人生のひとつとして「ヨガやメンタルオーガナイズ」などで、自分のビジネスを持ちたいとぼんやり考えていました。ただ、15年間会社員だった私にできるのか?
そんなときに、脱サラ先輩たちに「逆に38歳の今だからできるのでは?」と言われて「ハッ!」とする私。「60歳で新たなビジネスにチャレンジするほうが難しいよ」の一言が胸に刺さります。
「やりたい」「試行錯誤したい」という気持ちの源泉がある今のほうが、失敗からのリカバリーもしやすいとマインドセットし直しました。そして、38歳から数年試行錯誤してみて、「やっぱり会社員がいい!」と思ったら、会社員に戻ることにしました。
・・・続きはこちらで!
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『サバティカルタイム 「40歳の壁」を越える戦略的休暇のすすめ
〜FIREではなく働き続ける生き方〜』