新作落語「逢引き指南」
八「こんちわ」
隠居「おお八っつあん、まあおあがり」
八「いやー。弱っちまってね」
隠居「お前はいつも弱ってるね。どうした。
また喧嘩かい」
八「逆なんだ。仲良くなったんですよ」
隠居「仲良くなった? 誰と?」
八「みい坊ですよ」
隠居「みい坊?」
八「いるでしょう。向かいの長屋に一匹。あたしの2歳下の」
隠居「ああ、おみっちゃんかい」
八「ええ。この間、なんだか分からないデカい荷物を持って歩いてましてね。危なっかしかったんで代わりに持ってやったんですよ」
隠居「お前にしては殊勝な心掛けだね」
八「そうしたらえらく感謝されましてね。こんど一緒に遊びましょう、と言われまして」
隠居「それはそれは。良かったじゃないか」
八「よくないですよ。女と何して遊んだらいいのか、私はさっぱり分からねえ。どうしたもんかと思案してましたら、それはお前、色悪で有名なご隠居に相談したらどうだ、あの人は若いころそうとう女遊びをしていたからな、と言われましてね。それで相談に来たんですよ」
隠居「誰から聞いたかは後で教えてもらおう。まあ、確かに私はね、自慢じゃないが若いころはそれなりにモテた」
八「どうやって女と遊ぶんですか、色悪」
隠居「色悪って呼ぶな。お前は普段どこで遊んでるんだ」
八「酒と博打ですね」
隠居「一旦忘れよう。だいたいまあ、年頃の娘さんと行くところというのは決まっている」
八「そうなんすか」
隠居「まずはまあ、手ごろな茶店に入る。年頃の娘ってのは大体甘いものが好きだからな。だんごのひとつでも振舞ってやるんだ」
八「甘いもの苦手なんですよ。酒じゃダメですか」
隠居「お前の好みは聞いてない。ここでだな。お互いにだんごを食べさせあうんだ。あーん、と言ってな」
八「あーん? 難癖をつけるんですか」
隠居「ガン飛ばすわけじゃないんだ。口をあけてもらって、そこにだんごを入れるんだ」
八「それの何が楽しいんですか」
隠居「やってみれば分かる。茶店を出たら、小間物屋に向かう」
八「まだやることがあるんですか」
隠居「おみっちゃんと一緒に品物を見てな。かんざしなりなんなり、手ごろなものを買ってあげるんだ」
八「また金つかうんですか」
隠居「娘さんと遊ぶ、というのはそういうことなんだ」
八「そうなんすか。安請け合いするんじゃなかったな」
隠居「小間物屋を出たらいい頃合になっているだろう。ここからが肝心だ」
八「まだやることがあるんですか」
隠居「時刻が経って夕日がきれいに見えるだろう。頃合いを見て、ここだと思った時に、おもむろにおみっちゃんと手を繋ぐんだ」
八「手? 手をつないだらどうなるんです」
隠居「あとは、なるようになるだろう」
八「ずいぶんと思わせぶりですね」
隠居「まあ、大体こんな手順だ。わかったか」
八「はい、ええと、まず手を繋いで」
隠居「わかってないね」
八「言われただけじゃわからないですよ。なんせ初めてなんですから。そうだ、ご隠居、稽古してくださいよ」
隠居「稽古? どういうことだ」
八「だからね、ご隠居にみい坊の役をやってもらって、いま伺った手順通り店を回ってみるんですよ。そうすれば安心して本番に臨めるでしょう」
隠居「お前ね。いいかい。私が家から出るのは、非常に珍しいことなんだよ」
八「いいじゃありませんか。どうせ暇してるんでしょう。それとも何ですか。モテたって
のは嘘ですか」
隠居「そんなことはない」
八「じゃあ付き合ってくださいよ。私はね、店の場所も分からないんですよ。そんな男を見捨てるつもりなんですか」
隠居「なんでお前が偉そうなんだ。分かった分かった。ついていってやろうじゃないか」
八「さあ、茶店につきましたよ。これからどうするんでしたっけ? 蕎麦でしたっけ? それとも酒? あれ、ご隠居、どうしました」
隠居「やっぱり着いてくるんじゃなかったな」
八「今更遅いですよ。なに頼むんでしたっけ」
隠居「だんごだ、だんご」
八「そうだったそうだった。すみません、だんご二つ下さい。ご隠居ってのはだいたい甘いものが好きなんですよね」
隠居「私は別に好きじゃないよ」
八「お、来た来た。それじゃご隠居、この団子をね、あーんして食べさせてください」
隠居「嫌だよ。なんでそんなことしなきゃいけないんだ」
八「やってみないと塩梅がわからないじゃないですか。それとも何ですか、私に嘘を教えたんですか」
隠居「大きい声を出すんじゃないよ。わかったわかった。ほら、あーん」
八「へ、それじゃ失礼して……別に味は変わらないですね。それじゃご隠居、あーん」
隠居「嫌だよ!」
八「塩梅が分からないじゃないですか」
隠居「わかったわかった」
八「のどに詰めないでくださいね。美味しいですかご隠居」
隠居「味なんてわかりゃしないよ。じろじろ見られているじゃないか。ああ恥ずかしい」
八「ご隠居、これの何が嬉しいんですか」
隠居「おみっちゃんとやれば嬉しいんだ。私にやっても何の意味も無いんだよ」
八「そうなんですか。じゃ、ご馳走様でした」
隠居「おい、私が金を払うのか?」
八「さあ、小間物屋につきましたよ。何て言うんだっけな、ああ、思い出した。かんざしでも買ってあげようか」
隠居「大声で言うな! 人に見られるじゃないか」
八「たくさん種類がありますね。ええと、ご隠居にはどんなかんざしが似合うんですか」
隠居「無いよそんなもの。隠居に似合うかんざしなんて。おみっちゃんに似合うかんざしを選びなさい」
八「うーん、これですかね」
隠居「なかなかいいじゃないか。ほれ、それを買いなさい」
八「本番で買いたいです」
隠居「だんごは食ったじゃないか」
八「ここでかんざしを買って、みい坊にもかんざしを買うと、かんざしが二本になっちまうじゃないですか」
隠居「なんで当たり前のことをゆっくり言ったんだ」
八「そうだ、このかんざし、ご隠居が買ってくださいよ」
隠居「何故だ。私は別にかんざしは要らない」
八「ご隠居がかんざしを買うまで、私はここを動きませんよ」
隠居「なんですぐ声を張り上げるんだ。また人が集まってきたよ。わかったわかった。かんざしを買えばいいんだろ」
八「いやあご隠居、だんごも食えたしかんざしも買えてよかったですね。いい日ですね」
隠居「厄日だよ今日は」
八「お、見て下さいよ、夕日ですよ。きれいだなあ。ご隠居、手ぇ繋ぎますか」
隠居「嫌だよ!」
八「ここが一番のキモなんでしょう? 練習させてくださいよ」
隠居「練習しなくてもなんとなくわかるだろ」
八「せっかくここまできたんですから、ご隠居も腹くくって最後まで付き合ってくださいよ。はい、手をつなぎました、と」
隠居「うぅ。わしは無力だ」
八「ここからどうしたらいいんです」
隠居「そうだな、今日の思い出話なんかをするといいな」
八「分かりました。ご隠居、だんご美味しかったですね」
隠居「うぅ」
八「かんざし買えてよかったです」
隠居「何もよくないよ」
八「なんでか分からないですけど、ずーっとたくさんの人に見られてましたね」
隠居「今もそうだよ。ああ、誰か助けてくれ」
みつ「あら八ちゃん」
八「あれ、みい坊」
みつ「どうしたのこんなところで。お隣はご隠居じゃありませんか。どうなすったんです、 手なんかつないじゃって」
隠居「あ、いや、おみつさん、これはだな、久しぶりの外出なので八っつあんに手を引いてもらっていたんだ」
みつ「まあ、八ちゃんって優しいのね」
隠居「そうだ、これを預かっていたんだ。八公がおみっちゃんにって選んだ品だよ」
みつ「まあ、素敵なかんざしじゃない。ありがとう八っちゃん」
隠居「どうだい、私はもう家に帰るから、あとはお若い二人で、というのは」
みつ「やあだ、ご隠居ったら! どうする八ちゃん? お茶屋さんにでも行く?」
八「ご隠居、何が起きてるんですか」
隠居「黙ってなさい。お前さんは今、誰もがうらやむ立場にいるんだよ」
八「上手く処理されてることだけ分かるんですが」
隠居「いいからおみっちゃんについて行きなさい。八っつぁん、ここからが本番だよ」
八「本番? 急に? いや待ってくださいよ、 茶店行って小間物屋行って手ぇ繋いで、そこからどうすればいいんですか」
隠居「おみっちゃんに任せとけ。そこから先は教えられない」【完】
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