新作国策落語「インボイス根問」

上演動画


速記


八五郎「ご隠居、インボイスについて教えてください」

ご隠居「どうしたんだい八ッつあん、慌てて。インボイスがどうしたんだい」

八五郎「えェ、こないだね、松の野郎に出会ったんですよ。松の野郎が、インボイスが大変だ、インボイスが大変だって言うもんですから、インボイスって何だい、って、わたし訊いたんですよ」

ご隠居「こらこら八ッつあん、インボイス制度が施行されてから、もう半年が経とうッてんだよ。お前さんぐらいだ、そんなことを言っているのは」

八五郎「松の野郎もそう言うんですよ。えェ、インボイスについて、知らないのは、お前ぐらいだ、なんてなことを言われるからネ、じゃあ、そのインボイスってのについて教えてくれよ、って松の野郎に訊いたら、イヤ、インボイスはインボイスだ、って、松の野郎も知りやしないんですよ」

ご隠居「ハァー、松の野郎ってのはそういうところがあるからな」

八五郎「それでウチに帰ってかかあに相談したらね、そういう話だったらご隠居に訊いてくればいいって。ご隠居は、金勘定にがめついから、そういうことにもきっと詳しく教えてくれるはずだって言うんですよ。ですのでここに来たんです。ご隠居、インボイスについて教えてください」

ご隠居「ナルホド、八ッつあん、八ッつあんの目の前にいるのは誰だい」

八五郎「アッ、それは金勘定にがめついご隠居、アッ、これは本人の前で言っちゃ、いけねェんだった」

ご隠居「しょうがねェ野郎だねお前さんは。しょうがねェ野郎だよ本当に。本人の前で言っちゃったの。しょうがねェ野郎だよほんとにお前は。しょうがねェ。本当にしょうがねェよお前は。しょうがねェ野郎だな本当に。エェ、お前さんのそういうところが好きだ。正直なところが好きだよ。ナァ。インボイス制度について教えてやろう。インボイス制度と一言で言うがこれは本当は正しい呼び方があってな。適格請求書保存方式というのが正しい呼び方なんだな」

八五郎「インボイス制度について教えてくださいよ」
ご隠居「オッ、頭が追い付いてないな。イヤイヤ、適格請求書保存方式、つなげて読むと難しいが区切って読めば簡単だ。適格、きちんとした請求書を保存、とっておきましょうという方式のことだな」

八五郎「へぇ、な、なんでそんなことしなくちゃいけねェんです」

ご隠居「ウン、八ッつあんは消費税について知っているか」

八五郎「アァ消費税、ハイ知ってますよ。買い物するとついてくる」

ご隠居「くじ引きみたいに言っちゃァいけないよ。くじ引きみたいにさ。くじ引きみたいに言っちゃァいけないんだよ。ついてくるってくじ引きじゃァないんだから。くじ引きみたいに言っちゃァいけないよ。消費税なァ、8パーセントと10パーセントがあるのは知っているか」

八五郎「ハイ、知ってます。エーット、確か食べ物を買うと8パーセント」

ご隠居「そうだ。いま日本では食品を買うと8パーセント、新聞を買うと8パーセント、食品と新聞には8パーセントの軽減税率が適用されると、こういうふうになっているんだな」

八五郎「へェ、なんで食品だけ8パーセントなんです?」

ご隠居「それは、食品を買うのに少しでも安く買わせてあげようという、国の偉い人が一生懸命考えて下さった施策じゃアないか」

八五郎「ナルホド、じゃあ何で新聞が8パーセントなんです。新聞を食べる人がいるんですか」

ご隠居「山羊じゃねえんだから。八ッつあん、山羊じゃねえんだよ。山羊じゃないんだから八ッつあん、新聞を食べる、山羊じゃないんだから八ッつあん、山羊じゃないんだから。山羊じゃないんだよ。新聞も大事なものだから、8パーセントの税率が適用されているんだ」

八五郎「でも、うち新聞とってないですよ。周りの人もとってる人少ないですよ。そのとってるものが少ないものが大事だってんで、食品と同じ8パーセントの税率なんですか」

ご隠居「八ッつあん、国の偉い人が、一生懸命考えて下さった施策なんだ。間違いのあるはずがないだろう」

八五郎「それもそうですねェ。ナルホド、税率が違うというところまでは分かりました」

ご隠居「この税率が違うものに対して、どの商品に、いくらの税率がかかりました、というものをしっかりと書いた請求書、これがインボイスというわけだな」

八五郎「ヘェナルホド、それを出すとどの税率がどこにかかったかハッキリ分かるんですね」

ご隠居「そうだ。皆が大助かりとこういう代物だ」

八五郎「アァそうなんですね。それじゃわたしも早速、インボイスを出します」

ご隠居「こらこら、待ちなさい八ッつあん。まずは登録事業者にならないとインボイスは出せないんだよ」

八五郎「と、登録事業者?」

ご隠居「そうだ。税務署に行って届を出す必要があるんだ。税務署に行きなさい」

八五郎「ハァ分かりました。税務署に行ってきます。そしたらインボイスをいっぱい発行して、いっぱい受け取ることが、いっぱい、アァ駄目だ。ご隠居これは駄目ですよ」

ご隠居「何が駄目なんだ」

八五郎「ヘェ、だっていっぱい受け取ったらその請求書を置いておかなきゃアいけないじゃないですか。ただでさえ狭い家なんですよ。請求書を置いておく場所なんかございませんよ」

ご隠居「サァサァそこで出てくるのが電子帳簿保存法というわけだな。受け取った請求書はね、PDFデータにして、スキャナーを使ってデータにしてタイムスタンプを押したら、原紙は捨ててもいいとこういうことになっているんだよ」

八五郎「エェ、原紙を捨てることができるんですか。スキャナーさえ買えば。うわあすごいなスキャナーって。スキャナー、好っきゃなー」

ご隠居「面白い男だね八ッつあん、面白いよ、スキャナー好っきゃなー、面白いよ、八ッつあん面白いね、もう一回言って、スキャナー好っきゃなー、面白いよ八ッつあん、面白い、スキャナー好っきゃなー、面白いよ八ッつあん。まあまあまあ、そういう電子データにして残すことができると、こういう代物なんだな」

八五郎「ナルホド分かりました。ご丁寧に教えていただいてありがとうございます。わたくしちょっと出てまいります」

ご隠居「エェ、どこへ出かけるんだい」

八五郎「わたくしがインボイス制度について、この町のやつらにちゃんと教えてまいりますので、ハッハ、いろいろ教えてくれたなア。登録事業者になってインボイスを出して、そのインボイスを保存して、電子帳簿保存法でPDFにすればいいんだ。全部覚えたんだからな。教えてやろう教えてやろう。あ、熊さん熊さん、オーイ熊さん」

熊「オウ、どうした八ッつあん」

八五郎「熊さんは、インボイス制度について知ってるかい」

熊「アァ、このあいだ登録事業者になったところだよ。うちでもインボイスを出せるようになってな」

八五郎「さいなら」

熊「なんだあの野郎」

八五郎「熊さん登録事業者になってやがるんだ。あ、寅さんこんにちは。寅さんインボイス制度について知ってるかい」

寅「アァ、このあいだセミナー受けて、登録事業者になったところだよ」

八五郎「さいなら。登録事業者になってやがるんだ。あ、棟梁、棟梁こんにちは」

棟梁「インボイス制度の話かい。うちも登録事業者になったところだよ」

八五郎「さいなら。ハァ、みんなちゃんと登録事業者になってやがるんだ。この国は、この町は、リテラシーが高いなア。みんなちゃんと登録事業者になってインボイスを発行してやがるんだ。免税事業者が一人もいやしねえよ。困ったもんだなア。なんだい金坊、こっちのほうジロジロ見るなよ」

金坊「おじちゃん、インボイス制度の話がしたいの」

八五郎「お前にインボイス制度の何がわかるんだよ」

金坊「適格請求書保存方式のことでしょう。電子帳簿保存法と組み合わせて最大7年の」

八五郎「もういいもういいもういい。子供まで知ってやがるんだ。国の偉い人は、分かりやすい方法で、下々の人たちに、ちゃんと、インボイス制度の、あり方を、示してくれたんだなア。分かりやすい方法でさア。みんな分かってるんだインボイス制度のこと。ハァ、おれ反省したよ。おれも心を入れ替えて、立派な登録事業者になろう。そして、たくさんインボイスを出して、電子帳簿保存法を利用して、PDFで、インボイスを保存しよう」

松「なんか大きい声出してるやついるなア。オイ、八ッつあん、八ッつあん」

八五郎「アッ、松公。インボイス制度の」

松「いい、いい、インボイスの話は。今な、町内会で野球やることになったんだよ。草野球、草野球な。選手集めてんだ。お前、選手やるか」

八五郎「やるやるやる。そのかわりわたしアレだよ、キャッチャーじゃないと嫌だよ」

松「なんでキャッチャーがやりたいんだい」

八五郎「いま私はすごくネ、セイキュウに詳しいんだ」【完】


作成および上演にあたって心がけたこと


・メッセージを強く主張しすぎない
・可能な限りテンポよく 深く考えさせ過ぎない
・古典のクスグリを援用し普遍的な笑いを目指す
・笑い所は可能な限り引き延ばす

作成意図

「インボイス根問」は2024年3月20日「完全現代新作落語会シネマティックエンジン」にて口演されました。国策落語とは、戦時中の日本で戦争遂行という国策に沿って新たに作られ演じられた落語のことです。遊郭や好色、不義、卑猥なものは自粛すべきとして戦時中に上演を禁止された噺を禁演落語といい、この枠を埋めるかたちで流行したのが国策落語です。内容としては貯蓄の奨励、食糧増産の奨励、金属類回収など戦時中の生活に密着したテーマから、軍人賛美、軍部への賛美などまで多岐にわたります。今回、完全現代新作落語という名目で落語を作るにあたり、2024年の現在に国策落語という文化が生き残っていたらどのようなものになるか思考して上演しました。国策落語は日本の敗戦とともに一気に廃れた、とされていますが、エンターテインメントにメッセージを紛れ込ませて敷衍するやり口は今もなお巧妙に行われていると考えています。インボイスという卑近な題材を用いて「国策落語」を通じて見えてくるものがないか確かめるために制作しました。

参考文献

柏木新「国策落語はこうして作られ消えた」(本の泉社)

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