表現するということ
◯夏至の日に◯
今日は撮影の日
「表現する」という表現、言葉
最近耳に入ることが多いけど
今日もそんな日
「表現する」とは、、、
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家に帰ると夏至の日のプレゼントが届いていた
今年の「形あったものがなくなる体験」は
好きだったバンドの解散もひとつの体験
解散から3ヶ月と少し
そのバンドとみんなの想いが1つになったものが今日届いた
バンドというひとつの塊がなくなって
そこから紡ぎ出される新たなライブはもう生まれない
けれど、またそれは別の形で
そして曲という形で残り続ける
ふと、3月頭の解散ライブのときに感じたことを綴った文を思い出して読み返してみた
そうしたらそこでも「表現するということ」について綴っていた
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#bonobos_LAST の2日間を経て
自分の中の「表現をするということ」が刺激され、動きが生まれている
それだけ大きなエネルギーの中にいたし
それは純粋に愛と光でもあったし
ライブで直に音に触れることが生み出す様々がbonobosからはこれで最後になるということが昨日の涙の訳やとわかった今日
「表現するということ」は
その純度と比例して
表現者がそれを意図していないとしても「人を癒やす」ことに繋がる
人の心を動かす力がある
表現するものとして
そのことを再認識することができたのはbonobosラストライブのおかげ
とはいえそれだけを期待してライブに行くのではないし
大好きな音をライブで浴びることはできなくても日々の暮らしの中でbonobosの音楽は鳴り続ける
たくさんの音楽を残してくれてありがとう
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表現したい人間として
表現する人の姿には感化される
これはそれをより感じていたときの文章
人が純粋に何かに向かう姿は
本人の意図と関係なく
癒やしや影響を与えるということ
今日していた話とも繋がっていて
ちょっとした夏至の日の不思議
同封されていたカードのこのシーンの曲は
今まで何気なくしか聴いていなかったけど
父が亡くなってからとても響いてきて
癒やしをくれた曲
In rainbow. I'm a rainbow too
私にもきっとできること
写真をとおしてできること
その人の光と、
自分の光も輝かせるということ