ニコニコ動画がくれた青春ダークネス
広島から上京してきた僕は、当時で言うところのオタク文化を東京の友人に布教されました。最初に触れたのはアニメで、正直なところ、サブカルチャーが全く広まっていない地元の影響で、アニメや二次元コンテンツは恥ずかしいものだと思っていました。
今となってはその考えが恥ずかしいのですが。
半ば無理矢理サブカルチャーの沼に引きずり込まれた僕は、その沼にはまったというより、出たくねえ出たくねえ! 楽園だ! と分かりやすくハッスルしてしまったのです。
そして、しばらくして出会ったのがニコニコ動画でした。
オタクコンテンツにユーザーが色付けして、文化を進化させていく。
とにかくクリエイター、視聴者共々、なんだか恍惚の表情を浮かべていたように思えます。
僕は承認欲求が常人の1000倍くらいあるので、生主になることにしました。
最初は過疎っ過疎でしたが、声真似というジャンルに出会って、ネット上で友達も増え、今思えば、なぜその時代に配信の収益化がなかったのか、今でも壁を殴ってしまいそうな勢いで運の悪さを呪いました。
でも楽しかったのは事実だし、何より、どれだけハッスルしても失うものがなかった。大学生だったので。
動画投稿もそれなりに伸びて、ニコ生も20人くらいは確実に来てくれていました。
そうして、僕は大学の単位を犠牲にして、ニコニコにどっぷり浸かってしまったのです。
主にやっていたのは声真似、替え歌、雑談、声真似、声真似とかなんですが、色んな企画にも参加したり、なんなら主催したり、ネットってなんて楽しい楽園なんだ! 大学の友人たちから心配メールが来るけど知ったこっちゃねえ!
でも、もしかしたら皆さんはご存じないかもしれませんが、時間って過ぎてくんですよ。
それに気づいたとき、リクルートスーツに身をまとった同級生たちが、あの会社はどうとかあそこはブラックだとかカラオケは歌広が安いだとか、僕は将来のことを考えていなかったので死んだろうかと思う日もありました。
このあと、僕はどう挽回したのかは他で話したりしているので、割愛しますが、ニコニコは僕にとって青春であり、堕落的な幸せを与えてくれました。
当時の生主友達はほとんど絡みなくなってしまったけれど、今でも繋がってくれてる人は大事にしていきたいと思う努力をしようと思います。
あとあれですね。ニコニコ動画ってひとつのコンテンツが盛り上がればそれに乗じてシリーズが出来上がることあるじゃないですが。
あれはYouTubeとかにはない面白い要素だと思います。