【小説】思馳ゆ
思馳ゆ、とかいて「おもはゆ」です。
同じ読みで面映ゆいという単語がありますが、こちらは誤植でなくて思馳ゆです。笑
思い馳せる、と書くより思馳ゆ、と書いた方がイメージが暗かったのです。
面映ゆいの意味も含まれていないわけではないです。そこは少し意識はしました。
まあ正直、ぱっと考えついた文字列がこちらだったのです、しょーがない。←
そして実はさっき料理中にキャベツを切っていて思いつきました。(え?)
そろそろ実家帰りたいなぁって気持ちがちょっとこぼれちゃったのかもしれません。
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クレジット(瀬尾時雨)は任意です。
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思馳ゆ
徐ろに目が開いた。
左頬は木に触れていて、顳顬と両腕は引っ付いている。
机に伏して眠ってしまっていたらしかった。
書類が端に寄せてあるので、覚えてはいないが意志を以ての睡眠だったようだ。
肩首の凝りを誤魔化すように体を伸ばす。窓に切り取られて見える世界はすっかり橙色に包まれており、思った以上にこうしていたのだと疲れを実感した。
さてと。端にあった書類を一瞥。締切の近い作業が終わったか終わっていないか自分だけでは想起出来なかったのである。書類を手にとり、電気のリモコンをもう片手で探す。それは卓上カレンダーの横にすぐ見つかった。手を伸ばした所で不意に思い出した。
今日という日はどうしてなのか、何かとこの身に縁深くあった。
小学校の入学式があった日、遠くはあるが親類が初めて亡くなった日、初めて告白された日、今の場所に移り住んだ日、そして最後に実家に顔を出した日。
ここまであまりに色々あったので何となく気にかけるようになっていたが、ここ数年はそういえば仕事に追われてすっかり頭から抜けていた。
しかしこうしてまた思い出したので、きっとまだこの縁は続いているのだろうと苦虫を噛み潰したように顔が動いた。
小学校の入学式があった日。この日は式終了後になって雨足が強くあり、母と2人途方に暮れた。軒々を辿って帰るか! 等と意気込んだが、直ぐにその心が折れるほど濡れそぼって帰った。
遠くはあるが、親類が初めて亡くなった日。確か10歳くらいの頃だったと記憶している。祖母の兄弟だかなんだと説明されて葬式に伺い、その荘厳と悲哀の雰囲気に、恐らく人生で初めて死というものに漠然と恐怖を見せられた。
初めて告白された日。中学の2年か3年か。後輩の真面目な子ではあったが、なにぶん話したことがないから……と断れば、友達みんなからの質問攻めにあった。どうして断ったんだとか、あの子は学年でとても人気が高いだとか。そこから数日にわたり散々説かれても結局ブレることはなかったけれど。
今の場所に移り住んだ日。これは先程からは少し飛ぶ。業者の手違いで荷物が届くのが夜方になった。結局その日はカーテンを付けて布団をやっと出しただけで終わり、未開封の段ボール要塞の中で寝苦しかった。
そして、最後に実家に顔を出した日。父と盛大に喧嘩した。母は入る隙がないと思ったのか見ているだけで、結果そのまま堪らずに飛び出したのだった。それ以来心のどこかで、あの敷居を跨ぐのが憚られている。
ああ、思い返せばやはりこの日はいいことがそんなになかった。思い出さなくても良い事まで久方ぶりに蘇ってきた。
ふ、と息をつく。やめようやめよう。さっさと仕事の確認をしなければ。
そうしてリモコンを手に取った時、何となく、何となくまた思い出した。
いつの頃かいつの日か、こういう夕方の頃合。
電灯はまだ紐のついた4段階の時代だ。豆電球が切れては暫く放置され、忘れた頃に仕事帰りの父が付け替えていた。
台所からは料理の音。母の背中と何かを切ったり煮たりする音。幼い時分の私は母曰く、特に玉菜や人参を切っている時の音が好きだったらしい。
壁には学校で自分が作った作品が、持ち帰る度に増えていって、どれだけ自分が恥ずかしがっても母はそれを外そうとはしなかったし、父も必ず、母さんの好きにさせなさいと小さくぼやくのだ。
今はさすがに壁には貼ってはいないが、ご丁寧に取り外されたそれらが押し入れの浅い所に置いてあって、母が父を巻き込んで度々見返しているのを知っている。
17時頃には町内放送、18時頃には時折近くの名刹の鐘の音が響いてくる。
築70年ほどのぼろい一軒屋の中は自然の香りが強めで、雨が降ると屋内まで土臭くなった。よく自分が雨漏りを見つけては父が慌ててバケツを持って家中を駆け回っていたっけ。そのバケツが雨粒に叩かれる度、母さんはまた? とくすくす笑うのだ。
――どうしてこんなに思い出ししたのだろう。
帰りたい訳では無かったはずなのに、目の前にある仕事が憎くなってしまった。
思い出を消すように灯りを付けてカーテンを閉めた。くっきりした視界に改めて書類に向き直り出来ていなかった箇所を枚挙していく。
が、集中が出来ない。はたと手を止め書類を置き、思わず頭を抱えてしまった。
「ちくしょう……」
心の底からの泣き言。
思わず漏らした自身のその声を合図に、私は椅子から立ち上がり鍵束を持つ。
そしてそのまま気が変わらぬよう、早足で玄関を出た。
――ほら、やっぱり今日という日はやはり良くない日だ。
でも少しだけ、今更、少しはいい日であるように祈ってしまうのは一体、どうしてなのだろうか。
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2020/05/21 瀬尾時雨
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