不安な感情、私の場合は ・うまくいくかどうか ・他人からどう見られるか というところから生まれている気がする。 まずそれを認める。 この感情はこれまで自分を安全に保つために働いてきたものと理解し、否定はしない。 けれど変化を得るためには、この感情を克服する必要がある。 そのためには、 ・うまくいかなくても何も起こらない ・出来ないヤツと思われてもただそれだけ ・次に修正する という経験を得ること。 一歩前へ。 大切なのはそんの20秒恥を書く勇気。
不安な時は立ち止まっても大丈夫 足元を確かめることも大切 休みたい時は座っても大丈夫 地面を感じることも大切 座りながら上を見ることもできる 前を向ける時がきっと来る まずはその場所にいること 前進できるタイミングを待つ
自分が精神的に参ってしまっている時、あれこれ言わずにそばに居てくれる。気晴らしになるようなところへ連れて行ってくれる。その道中で懐かしい2人の思い出の曲をかけてくれる。つくづくいい嫁ちゃんと一緒になったなあと思う。 最近、嫁ちゃんが少しお疲れ気味。会社の組織変更で慣れない環境にストレスが掛かっているみたい。 次は自分が支えになる番。
昨日は家族で三上山へプチ登山。 5歳、3歳の子供がいるので、一番登りやすいという裏参道を選択。 なだらかなトレッキングコースを想像していたら、、、しっかり山道。 3歳の長女はちょっとキツめ、ほぼ抱っこ。そして初めての山が少し怖いのか泣きじゃくる。 長男ははじめはぶつぶつ泣き言を言って座り込んだりしながらも、少しずつペースを掴んで登り始める。 結果的にこの日は山頂までは辿り着けず、6割強の地点で折り返し。長男は途中休みながらもなんとか自分の力で下山。 下山したあとは腕を大き
周囲の人、それらの人の善意に支えられているなあ、と痛感させられるこの頃。 1人でやり切れることが少ない今の自分。教えてもらって、やってみて、すぐわからなくなってまた教えてもらう。 その中で、自分が提供できそうなものを示し、実際にやってみる。その繰り返し。 教える側からすると非常に面倒なこの工程。けれど、嫌な顔せずに対応してくれる方ばかり。 振り返ると、特に社会人になってからの10年ちょっと、本当に人に恵まれているな。感謝。 そのお礼としても、また自分のためにも何かで役に立
きっと世界は善意で満ちている。 こんなことを言うと 「いや夢見すぎでしょ」 「ポエマーかよ」 など様々指摘をもらいそう。 でも、本当にそう思う。 世界には善意しか無い、とは言わないが、至る所に善意はある。 もし今たくさんの悪意を感じ、そこに目や意識がいっているのだとすると、それは「世界」の定義範囲や感じ方に起因するのかもしれない。 何を見るか、何を感じるかは自分の自由。 良いと感じるもの、感謝を感じられるものに集中して暮らす。 それは周囲の在り方が変わらなくても出来る。
朝の準備をしていると、長女が起きてきた。 嫁ちゃんも朝の支度中で取りつく島がなかったのか、私のところへやってきた。 テクテク、ギュッ 黙って抱きついてくる。 癒しのひと時。 こんな時間は娘の一生のうちでわずかな期間なのだろう。 中高生ぐらいになると スタスタ、「チッ」 になるのかな。泣 今のうちに噛み締めておこう。
トイトレ中の長女3歳。 今日はパンツで登園したい、とのこと。 よっしゃそれでいこう!ということで、朝の着替えのタイミングで、パンツを履く前にトイレを促す。 「うん!」 と元気よく返事をし、オムツを脱ぎ、Tシャツ一丁でトイレへ走ってゆく。 ぷりっぷりっぷりっぷりっ🎵 お尻が大変ご機嫌に揺れている。 大抵の嫌なことはこの光景を見れば忘れられそうな気がする。 朝からええもん見れました。 それでは本日も張り切って参りましょう!
昨日は月曜日からハードな1日。突発で重ための業務が入るも、上司のサポートのおかげでなんとか昨日対処が必要な内容は捌くことができた。そういえば上司にはしっかりお礼ができていなかった。あらためて今日伝えておこう。 帰宅が遅くなってしまったなあ、と少し気を落としたまま帰宅すると、キッチンの上には子供たちからのメッセージが書かれた手紙。 長男は、自分で書けるようになってきたひらがなを使ってちゃんと文章にしている。 (嫁ちゃんからは「チャレンジの機械使って書き順調べながら書いてたで
長女3歳が、紫色にハマっている。 服選びは紫一色! 紫のズボン 青紫のTシャツ 青と紫の靴 ピンク系紫のリュック という感じなので、それを笑いながら嫁ちゃんと眺めている。 土曜日、嫁ちゃんのヨガ道具の洗濯物を干しているとあることに気がつく。 ピンク系紫のトップス グレー系紫のタオル 青と紫のヨガパンツ 片面紫、片面水色のヨガマット あなたもだったのね。笑
武者小路実篤著「真理先生」を読了。通勤時間を使ってチマチマと読み進めた。 悪意がない読了しての感想を一言、良かった。何が良かったのか。 まず、物語の始終を通して、悪意がある登場人物が出てこないこと。 私自身がストレスに敏感な部分があり、映画でも小説でも物語の中にキャラクターの悪意や物バッドな展開があると少しエネルギーを奪われてしまうところがある。 そう言う面で、善意ある人、人の善意に一貫した本作品は、そういう体力をかけずに読み切ることができた。 登場人物この物語には主人公
ほんとその通りだなと思う。 どんな言葉を選ぶかは大切。 昔こんなCMを見た気がするのだけど、なんのCMだったかな。 (ACっぽさすごい 笑)
なんとなく言葉にしたくなり、 「◯◯ちゃん、好きだよ。 いつもありがとう。」 と嫁ちゃんにラインをしてみた。 「わたしもすきだよ いつも感謝しとるよ」 と返ってきた。 ぽっと心が温まる。 「もっとはぐらかされると思ってた。 言ってみるもんだね 笑」 と送ると、 「はぐらかそうかと思ったけど 笑 思ってるだけじゃ伝わらんかなと 笑」 と返ってきた。 恥ずかしい、怖い、躊躇する理由は色々あるけれど、言葉で伝える大事さを実感。 (同時にラインにも感謝) 行き詰まった時、調
昨日に続いての投稿。思いがけず長くなってしまった。 真理先生も、もう少しで読了。 良く生きられているかどうか漠然とした「良く生きたい」という想い。 その一方で、今という点だけで自分が良く生きられているかを評価することは難しい。 自分が置かれている状況や、なによりその時のメンタルコンディションで自己評価が大きくぶれてしまうから。 過去からの変化過去の自分から見てどうか、という視点だとずいぶん評価がしやすくなる。未熟さに気がついて改められたところ、余分な価値観を手放せたところ
良く生きる「良く生きたい。」 ここ最近頭の中にぼんやりとあるキーワード。 武者小路実篤著「真理先生」を読んでいて、刺激を受けたままに書いてみる。 裕福になりたいとかそういうことではなくて、何かもっと精神的な満足感を求めている気がする。 けれど具体的に何を求めているのか、何をすれば満足するのかが掴めていない。 悪く生きる反対に悪く生きるとはどういう状態かを考えてみる。 まず思いつくのは、①誰かに危害を加えている状態。 これに関しては、他人に害意を持った人間では無いと思うので
GW明け初日。 プレッシャーのかかる仕事。 身の丈を超えている(ように感じる)仕事。 雨のせいもあってか、ソワソワと落ち着かない。 漠然とした不安がまとわりついている感覚。 うまくやろうとしすぎないで大丈夫。 自分にできることをやる。 できないことは聞く。助けてもらう。 「まずは今日1日。」 そう言い聞かせながら、丁寧に淹れたコーヒーをすする。 静かなリビングで雨音を聞きながら。