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パーソナリティはあって当然
十人十色。
コーチング研修の際には、
一人十色
と教えられました。
一人一人が違う色なんて当たり前。
そんなの大前提です。
生きる中でいろんな自分を表するわけで、家庭、職場、学校、社会・地域などなど、さらにはその時々のシチュエーションで変わりえます。
だから、一人十色。
人によっては十色では足らないかもね。
たまに変わった色、見たこともない色があって、それが一人で完結しているなら、周りや社会には無害です。
それが、度を超えて、
自分以外の他人、他に影響を与えるというのは、障がいでしょう。
加えて、
本人が良い・正しいと思っている/思い込んでいるのは、ことの他やっかいです。
そして、
本人以外の他人の信念、宗教まで、その特定範囲の正しさが行き渡ると、もう手がつけられないほどの事態に陥ります。
集団催眠
集団ヒステリー
集団パニック
そのような状況下で交わされる意見、集団思考は、その特定範囲の正しさを助長していきます。
俗に言う、イエスマンしかいない集まり
( ˙ᵕ˙ )イエスマン!!
集団浅慮とも。
一人のパーソナリティ障害から始まり、その影響力、伝達力からグループに発展していく。
抜け目なき論理展開で吸い込まれていく。
集団パーソナリティ障害に。
ちょっと言葉は変ですが、、、
意味合いは伝わったでしょうか。
老若男女、違う文化・風習をもった人、誰から見ても正しい、普遍的な正しさであるなら、トラブルにはならないでしょう。
無いことが有ることになって、
有ることが無いことになっている。
そのことも自己完結していればそれで終わるのですが、周りを巻き込んで、その人が頭に描いた事柄がまるで事実かのように伝わっていくのは、傍から見ていて恐怖を覚えます。
正に、
言葉が独り歩きしていく。
それだけに収まらず、
自ら拡大させているのですから、困ったものです。
話が若干逸れてしまいますが、ホンダ・レーシングが最も苦慮したのはブレーキング・制動です。
アクセラレーション、スピードを上げる事は難しくはありません。
コーナーに入るギリギリまで加速して、一気に制動をかけ、そのエネルギーを逃がして、次にいく。
速さを競うものに、最高峰のブレーキング技術にかけて挑んだわけです。
世の中、いろんなところでスピード感が求められています。
進むことも当然大事なのですが、適当なブレーキができるか。
ブレーキペダルありますか?
止まる機構がありますか?
ブレーキが伝わるようになってますか?
止まりますか?
本当に止まれるんですか?
一気に止められるんですか?
その前に、
ブレーキを踏む決断できますか?
いつまでに止まるんですか?
どこまでに止まるんですか?
ちょっと待って、
ブレーキの選択肢ありますか?
突っ走っているときには、
なかなか気づけないものです。
自分で踏めないなら、
仲間が踏む。
誰も踏めないなら
あるとき事故して障害を負う。
自分も、一緒に乗っていた仲間も。
それで氣づけば良いのですが。。
以上、自戒の意味も含めて書きました。